村井氏は私とほとんど同年代でありながら、インターネットという、当時としては最も「飛び出た」技術の先駆者だった。大学という自由な環境で思い切り好きな研究をしており、まさに「華麗なる技術者」としての魅力を持つ人物である。

 一方、私は大企業に勤めるサラリーマンであり、法律という堅い分野で仕事をしてきた。

 実は、インターネットについて、この頃から痛感していたことがある。それは、「二つのIP」というテーマだ。私はこの話題を、今でもよく講演のタイトルにしている。

 では、「二つのIP」とは何か。

 ICANNやインターネット関連の会合では、当然のことながらほとんどの人は「IP」のことをインターネットの通信プロトコル「internet protocol」だと考えている。しかし、私が日頃仕事をしている法律分野の専門家の間では違う。「IP」という言葉からは「intellectual property」、つまり特許や著作権などの知的財産権のことを連想する人が多い。

自由と制度の間で揺れる「二つのIP」

講演する村井氏(2004年)
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 この「二つのIP」は全く異なる分野の異なる言葉のように見えるが、実はそうではない。インターネットが普及するにつれ、二つの「IP」は複雑に絡み合って、さまざまなサービスで重要な役割を果たすようになったからだ。

 「二つのIP」の間には、大きな隔たりが横たわっているように感じることが多い。知的財産権とは、発明者や創作者に法律に基づいて、一定期間独占的な権利を与えることである。この権利が発明者や創作者が生み出した作品を守り、産業の活性化につながるという考えに基づいている。だが、インターネット時代には、これらの制度がとても不自由で窮屈な制度に思えるらしい。

 理由は簡単である。インターネットでは、情報や知識の自由な流通が当然のように行われるからだ。法律による制度は、自由な流通を志向した技術やサービスを生み出す際には足かせになることもある。インターネットの黎明期から今に至るまで、著作権制度を巡るさまざまな争いが絶えないことは、インターネット以前から存在する制度(権力)と、自由を求める人々の考え方の間に隔たりがあることを象徴している。

 私は日頃から知的財産権を扱う人間である。だから、言うなれば古い法律や制度に根付いた活動をする「権力側の人物」と映ってしまうきらいがある。一方、ICANNに集まる自由な集団は、権力を嫌う傾向が強い。だから、ICANNでの活動に携わっていた時代には、「二つのIPの狭間」でバランスのとれた制度を作り出すためにはどうすればいいのか、大いに悩んだ。