“国を挙げてのもの・ことづくり”の必要性と、標準規格化の重要性

 日本が“国を挙げてのもの・ことづくり”を目指すべきと考える理由は2つある。1つは、グローバルな“ことづくり”を国全体ができるように、構造的なシフトをすべき時期に来ていること。また、日本以外の多くの国も、“国を挙げてのもの・ことづくり”への構造改革を進めることは必至なので、それらに対抗(も協業も)する必要がある。また前述したとおり、民間企業だけでグローバルな“こと”が展開できる時代では事実上なくなったし、各企業が独自の動きを展開した果ての過当競争による体力消耗を避けるべきとの意味もある。

 2番目の理由は、“ものづくり”において日本は優れた付加価値を創造できる特異的な産業基盤を持っていることである。今後とも、その優位性を最大限に活用すべきであろう。

 “国を挙げて”とは、決して政治がリードするということではない。国全体(特に産学官)として大きな方向性と戦略を共有し、日本としての”もの・ことづくり“を実現させていくことだと思っているが、産官学の結合はルーズなもので十分である。

 例えば、グローバルに通用する“こと”としてのサービスやそのビジネスモデルには、その手段となる技術標準化と運用標準化(安全規格化、認証など)が重要となるのだが、特にグローバルな標準化は、官・学の参画・折衝・調整・規格化の継続的なバックアップも含めた対外活動が必須で、国全体での協調が必須である。幾つかの大国やEUは、標準化で産業のイニシアチブを握ろうという戦略をもって行動していることは明らかだ。

 つい最近、2012年2月18日付け日本経済新聞にも、電気自動車(EV)の急速充電器の規格化上の懸念についての記事が載っていた。日本の国内自動車メーカーや電力会社が協議会を発足させて2年に及ぶ活動をしてきたのだが、数ヵ月前に欧米主要7社が独自規格を立ち上げて世界標準を狙っている、とのことである。いくらテクノロジーとして優れていても、いくら早く世の中に出しても、グローバルな標準規格化に乗り遅れると、国内だけなどの狭い展開に留まり、そのうちに類似のグローバル標準に押されて消滅してしまうのは目に見えている。

 技術標準規格化へのイニシアチブの一端を握ることと同時に、その規格の運用面(運用される上での規格化、その認証フォローなど)も含めた積極的な関与も重要である。日本の場合、前者ではいくつかの実績もあるのだが、後者では欧米に後塵を拝しているのが実情ではないだろうか。ISO9000シリーズにしてもISO14000シリーズにしても、日本企業の取り組みには受動的な印象がある。これから先進国が積極的に動きつつある国際安全規格にしても、もっと規格化だけでなく、その運用についてもイニシアチブがとれるようにしていく体制作りが必要となる。

 これからの新しいビジネスモデルの多くはICT(特にネットワーク技術)を絡めて創られると言っても過言ではないので、“もの・ことづくり”の共通のベースとなるICTの基盤を厚くする構造的な改革も、産学官として重要な共通認識とすべきだろう。

 次回は“国を挙げてのもの・ことづくり”の一環である、構造改革の必要性について述べたい。