前回は日本が目指すべき“もの・ことづくり”の3つの方向性のうち、2つについて述べた。1社(もしくは少数協業社)で完結可能なパターンと、複数社協業型(垂直統合型)のパターンである。今回は、3つ目のパターンである “国を挙げてのもの・ことづくり”について、なぜそれが必要なのか、その方向性はどんな分野に有効なのか、などについて議論したい。


“もの・ことづくり”の代表格Apple社の戦略が参考になる

 前回までに“ことづくり”の代表格として挙げた米Apple社のビジネスモデルについて、もう少し述べておきたい。その見事な成功例は、どう見ても“国を挙げて”作られたものではないし、先進技術や国際標準化をリードしながら築いたモデルでもない。故Steve Jobs氏の類まれなカリスマ性と、ICTビジネスへの並外れた情熱の賜物であることも間違いない。しかし、そのビジネスモデルには日本が目指すべき“もの・ことづくり”に参考となる普遍的なコンセプトがある。

 その1つは、提供する価値や目的に対する戦略的なコンセプトがきわめて「明確で」「ブレがなく」「連続性(継続性)を有する」ことだ。例えばiPodの時代からたどってみても、『音楽を身につけて、持ち歩いて楽しむ』から、次には『映像も持ち歩いて楽しむ』になり、ネットワーク接続をキャリアとのアライアンスにより可能にして『スマートフォンの標準形となったiPhone』を実現し、さらにiPadにも進化して『新聞や書籍を電子化して持ち歩けて楽しめるスマートPC』モデルにまで高めた。それらは、ユーザーインターフェース(UI)のコンセプトを保ち続けながら、ユーザーから見て扱いやすいiTunesという統合化されたサービスのプラットフォームによって実現されている。

 ここまでビジネスモデルが確立してくると、もはや『楽しむための“もの”』だけでなく、ユーザーにとっては『なくてはならない身近な “こと”(サービス)である。しかも、世界中に増えているAppleファンに対して満足を提供し続ける一連のサービス群』になりつつあると言ってよい。Apple社が今後、ネットテレビという、現在のテレビでは計り知れないほど幅が広く質の高い情報提供を可能にする情報参加型の仕組みによって、社会生活に幅広く関わる必須のサービスにまで拡大させる考えであることが容易に推測できる。最近の電子教科書への参入表明もそのうちの一つであろう。

 Apple社のコンセプトのもう1つの特徴は、故Jobs氏が徹底的にこだわった、使いやすく美しい“もの”との結合であろう。Apple社のユーザーインタフェース(UI)へのこだわりは、アイコンの統一感による視認性の良さだけではない。角に丸みを帯びた美しさは、Jobs氏お気に入りである日本の陶器の皿にヒントを得たのではないかともいわれている。

 結局、Apple社の成功は、ICTをベースとした“こと”の提供を継続的に描き続け、時期に応じて人の心をつかむ“もの”との絶妙な結合を次々に実現し、その決してブレない継続性・統合的なコンセプトが、グローバルにデファクト的に受け入れられてきたことによるのだと考えられる。このビジネスモデルを、日本のメーカーが同じようにグローバルにつくることは残念ながら困難である。

 実際、日本の通信キャリアや家電メーカーも、日本国内では類似のビジネスモデルをむしろAppleより早くから提供してきたのだが、それは複雑なもので使いやすいとはいえず、サービスの継続性が途絶えた例もある。残念ながら、国外に展開する総合力があるとは言いにくい。日本企業に限らずグローバルなICTベンダーの中にも、10年ほど前にPDA(携帯情報端末)を核に同様のビジネスモデルの実現を描いていた例があるが、そのどれもが成功していない。

 このように、Apple社の成功には戦略・普遍的なコンセプトがあり、それを日本も学ぶべきと筆者は思っているので、以下にまとめておく。


  • ▼明確でわかりやすい“こと”(サービス、そのプラットフォーム)の価値提供を戦略の前面にすること。
    ▼それにマッチする“もの”として、独自の価値(アイデンティティ、使いやすさ、美しさの追求など)を併せてつくり込み、(Apple社の場合にはパートナーが)提供すること。
    ▼結合させた“こと”と、“もの”は、一貫したアイデンティティを持って継承させるが、次々に進化させてユーザーを飽きさせないこと。
  •  日本の企業にとっては、目指してはいてもなかなか実現できないことではないだろうか。だからこそ、日本はこのコンセプトに学びながら、1企業ではできない“もの・ことづくり”を国全体でできる構造にしていくことが、生き残る道だと思う。


    “国を挙げてのもの・ことづくり”の必要性と、標準規格化の重要性