日本でも始まった特区

 特区という言葉は、私が1990年代後半に日本に来たときには、日本語にはその言葉はなかったかのように思っていた。というのも、当時中国のメディアでは特区という言葉があちこち使われていたのとは対照的に、日本のメディアでは中国関連の記事の中では使われていたものの、それ以外では見たことがなかった。中国記事のための造語かとも考えていた。

 時代は変わった。最近、日本のメディアには中国の記事を以前より多く取り上げているが、特区という言葉はあまり見かけなくなったような気がする。一方、日本国内に関する記事には特区が多く使わるようになったと思う。特に、昨年の12月22日に、国際戦略総合特別区域の第一次指定申請の結果(pdfの関連資料、東京、関西など7個の対象区域は国際戦略総合特区と指定された)の発表に伴ない、指定された地域の所在地では、特区が注目され大きな期待が寄せられた。日本の特区と中国の特区の中身や基準は違うが、成長のための構造改革や規制緩和の目的は同じだ。日本も、ようやく特区の設置による改革を加速している。

 日本語版のWikipediaでは、「経済特区」という項目は次のように記述されている。

経済特区(けいざいとっく)とは、経済発展のために法的、行政的に特別な地位を与えられている地域を指す。英語では“Special Economic Zone”(SEZ) で、1978年に中華人民共和国で初めて設置された。

 「構造改革特別区域」という項目についても、中国の経済特区が改革開放による経済発展の呼び水となったことにヒントを得て、小泉内閣の規制緩和政策として採用されたものと説明されている。2002年9月に担当大臣を任命し、2003年4月1日に法施行された。

 中国で初めて設置されたこと、そして日本が中国の経済特区にヒントを得たということは特に検証はしていない。本当であれば、特区は海外でも開花して、中国が世界へ貢献したと言えるだろう。

 中国の経済改革が、既に終わったというにはまだ言い早い。経済改革に相応しい政治改革が求められる現在、経済特区で経済発展を成し遂げた深圳が、政治特区に指定されるという憶測が中国では何度も浮上した。しかし、本格的な動きは無さそうだ。新たなイノベーションは、深圳特区からいつか再出発するだろう。

 日本も、新成長戦略に向けの施策を盛り込む特区制度で、閉塞を打開して、その成長を牽引してほしい。