「ったくもう、ウチは大量生産のものづくりじゃねえんだから、平準化なんざァ関係ないだろうに、あの製造課長、何を言ってやんでェ!」。朝から部長が吠えています。

 どうやら、製造課長が平準化の信奉者でして、何が何でも平準化。要するに、個人差をなくして工程を平準化しようって事らしいのです。

 「そりゃあ、確かに個人差をなくして、誰もが同じように工程をこなし、それで効率が上がればいいサ。しかし、同じようにすればするほど、高率は下がる、そう言ってるんでェ。むしろ、俺は、出来るヤツはサッサと出来るような工程を組み、出来ないヤツは、それなりにこなせるような工程を組めばいい、そう言ってるのによォ。あの課長、『それでは出来ない者が目立ってしまうので、あえて平準化するのがいいと思います』って、それじゃあ、出来ないヤツに合わせるって事じゃあねえか。出来るヤツの技能や才能を削り、出来ないヤツに合わせるなんて、おかしくはねェか? ええっ、次郎さんよォ!」。

 う~ん、確かにおかしいかもしれませんが、課長の考えも分かりますワナ。出来るシトのペースに合わせると、それは確かにペースが上がり、生産効率は上がるかもしれませんが、逆の視点から見れば、出来ない(遅い)シトは大変ですヨ。ムリして怪我でもしたらと、それを課長が心配しているのかも知れませんヤネ。

 「いやいや、百歩譲って、課長がそこまで心配するなら仕方ねえよ。しかし、俺が気にしているのは、出来る者と出来ない者、そこを見ようとしないって事サ。要するに、誰にだって個性があるし、それがあるのが当たり前なのに、それを見ないのがおかしいのよ。手が早い者は早いし、遅い者は遅い。俺は、それをとやかく言ってるんじゃなくて、誰にでも同じペースで仕事をさせるのは、出来る者の特長をなくしてしまうって、そう言ってるんでェ。これって、もったいないと思わないかァ?」。

 確かに、誰にも同じ作業を同じペースでさせることにこだわれば、その中で、一番遅いペースのシトに合わせるしかありませんヤネ。だから、そのうちにペースが遅くなって、むしろ効率が落ちるのかもしれませんワナ。

 高度経済成長期の大量生産時代、何が何でも効率を追い求めた時、この平準化で効率を上げた時期もありました。しかし、ものづくりも多様化している今の時期、平準化では対応できない事の方が多いのかもしれませんナ。

 「次郎さんの言う、俺も経験した高度経済成長期。それを支えた大量生産時代は、とにかく、同じ物を大量に作る為の自動機や専用機を大量に並べ、それで工程を組んだのサ。だから、そこで働く者は、個性を出しちゃいけねえのよ。だってそうだろう、整然と同じ物が同じペースで出来上がるんだから、そこでイレギュラーな事をしては乱れるってことよ。誰もが個性を殺して、まるでロボットのように黙々と働いていたものよ。だけど、今のものづくり、特にウチのものづくりは逆に多様化しているんだから、ものづくりの工程も、色々あっていいんじゃねェか。出来るヤツはハイペース、出来ない者はそれなりのペースでやればいい、俺はそう言ってるのサ」。

 部長の言う通りかもしれませんヨ。これだけお客様のニーズが多様化し、商品やサービスも多様化している時代、作り手も多様化しなくちゃいけませんヤネ。なのに、大量生産時代の没個性では、かえって不都合があるてェ事ですナ。
  
 そんなこんなで赤提灯…。

 「へ、平準化ってなんですか?」。
 いやあ、アスパラは平準化を知らないんですナ。平準化なんて言葉、もう死語と言っていいのかもしれませんヤネ。

 お局も、「ははは、平準化かァ、懐かしいわネ。確かに大量生産の時代には、平準化は大事だったわよね。誰もが同じ目的の為に、同じ方向を見て、大量に物を作る。その為には、一糸乱れぬ統制が必要で、そのとき、出来る人のレベルに合わせることは出来ないから、むしろ、そうでない人のレベルに合わせる、言い換えれば、誰にも出来るようなレベルに合わせたのよ。中庸と言えばいいのかもしれないけど、今思うと、平均点よりちょっと下のレベルだったのかもしれないわねェ。人は大勢いたし、誰かが休んでもすぐに代わる人がいた。ある意味、いい時代だったわよねェ」。

 そうか、確かに懐かしい気もしますワナ。高度経済成長期、その時、多くの人が、皆、自分は中流と言いましたワナ。誰もが中流と言う時代、ひょっとして、それは、この社会も平準化されていたのかもしれませんナ。

 「それよりアタシ、部長と同じように気になるのは、課長が平準化に拘る、その拘り方よ。『それでは出来ない者が目立ってしまう』って、そこが気になるわ。何も、出来ない者を叱る訳じゃあるまいし、それなら、その人のペースでやってもらえば、それでいいじゃない。何で、出来ないのが目立つのかしら、気を回し過ぎよ。じゃあ逆に、出来る人からみれば、自分は出来るのに押さえられるなんて、イライラしちゃう。最近、何か変だと思うことが増えたけど、これもそうかもしれないわねェ。人の個性を評価するのは悪いことではない筈なのに、それは不平等だとする考え方。アタシは逆に、それが不公平だと思うのよ。人のいいところを伸ばしてあげるのがいけないなんて、それじゃあ、どこかの国のマスゲームみたいなものよォ。一糸乱れぬマスゲーム、アタシは見ていて、背筋が寒くなるくらいよ」。

 ははは、あれは選抜されたトップレベルの選手たちが、命がけで行うマスゲームですから、この話とはちょいと違いますが、お局の言うように、出来ない人を気遣うばかりでは困りますヤネ。肝心なことは、それぞれのシトの評価をちゃんとしてやるてェ事ですヨ。
 平準化という意味は、物事の不均衡をなくし、公平な状態にすることで、凸凹をなくすことでもありますが、人の個性もまっ平らになっちまったら、面白くも何ともありゃしませんヨ。能面のような顔で同じ事をしていたら、それこそお局の言うように、背筋がゾッと寒くなりますワナ。

 「中国は、過去に国民を平準化しようとした時期があったように思います。強制的に、知識層を農民にして、国民を統制した時期もありました。しかし、今はその反動でしょうか、皆、個性にあふれ、はじけているようです。ちょっと、はじけ過ぎかもしれませんがね」。欧陽春くんも、平準化には反対のようですナ。

 「欧陽春くん、それは日本も過去に同じ事があって、国民が自由に自分の意見が言えない時代もあったのよ。今は、そんな事は無いけれど、今の時代で怖いのは、尖った個性を削ってしまう事じゃないかしら。尖った個性は、時には理解できない事も多いけど、それは才能なのよ。例えば、芸術家って、普段の生活は普通じゃないし、変人に見えることもある。でもそれは芸術家としての尖った個性なのよ。尖った個性を丸くしたら、芸術ではなくなって、ただの製作物になってしまうのよ。要するに、色々な才能を、如何に伸ばすか、そこが大事なことじゃないかしら」。

 いやぁ、お局もイイことを言いますヨ。確かに、これからの時代は、如何に個性や才能を伸ばして行くか、それが大事てェことかもしれませんゾ。

 「先輩、ボクも個性や才能が大事だと思います。ところで、ボクには才能がありますかねえ」。突然、アスパラ、何か言って欲しいのでしょうか…。

 「えっ、才能? う~ん、そうよねえ、アスパラの才能かァ…。そうそう、あるある、あるわよ才能。アスパラの才能はね、とても純粋で真っ白なところ。こうして、自分のことをアタシに訊くなんて、本当に何も考えていないのよね、感心するワ」。

 少し間をおいてアスパラ、「それって、ノー天気って事ですかァ?」って、やれやれ平和なことですヨ。

 では、今夜はこのへんでお開きです。