今回紹介する書籍
題名:打捞中国愤青
作者:廖保平
出版社:北方文芸出版社
発行日:2010年10月

 今回も廖保平著『打捞中国愤青(直訳:中国の憤青をすくいあげろ)』の内容を紹介していこう。憤青とは「憤怒青年」の略で、特にここでは偏狭な民族主義的思想を持ちインターネット上で活動する青年たちを指している。さしずめ日本の「ネトウヨ(ネット右翼)」と言ったところだろうか。  

 本書の著者は憤青の存在を、単なる一過性の現象としてとらえてはおらず、古今東西の憤青(=国を憂い怒りを感じていた青年たち)に考察を巡らせることにより、現在の憤青の問題点をあぶり出していく。たとえば、西洋の憤青と現代中国の憤青の違いを次のように述べている。

  1. 西洋の憤青(本来の意味での憤青、あるいは真の憤青)は人道主義を高く掲げ、偏狭な民族主義を放棄する。中国の憤青は民族主義を愛し、人道主義を無視する。西洋の憤青の国家に対する愛情が人間、真理、正義に基づいているのに対し、中国の憤青の国家に対する愛は人間、真理、正義を凌駕している。西洋の憤青は真の愛国者だが、中国の憤青は偽りの愛国者または国を過たせる者である。
  2. 西洋の憤青は戦争に反対し、平和を渇望している。もし、自国が他国に侵略戦争を仕掛けた場合それに反対する。中国の憤青は列強に反撃するチャンスを待ち望み、世界を牛耳ろうとしている。
  3. 西洋の憤青は国内の社会に不満を示す。中国の憤青は国際社会への不満を示す。
  4. 西洋の憤青は人権、自由、平等などの問題に自ら力を尽くす。中国の憤青は口先ばかりである。
  5. 西洋の憤青は社会問題の根源を探り、根本的な問題の解決方法をさぐる。中国の憤青は社会問題の真の問題点を見いだせず、建設的な意見を出すこともできない。

 西洋にも東洋にも様々な憤青がいるだろうから、必ずしもこのように言いきることはできないと思うが、この分析は現在の中国の憤青の問題点を表している。また、本書では中国の憤青の定義として「盲目的愛国」「外国に対し排他的、且つ熱狂的」「無知からくる自信過剰」「騒がしく軽率」などとも書いており、手厳しい。ただ、本書は題名にあるとおり、憤青を「すくいあげる」ことがテーマであり、彼らを揶揄したり、攻撃したりすることに著者の目的があるのではない。憤青の思想の核に当たる「国・民族を愛すること」について、筆者は様々な角度から分析を試みている。  

 例えば、中国人にとっての「国」について、筆者は以下のように述べている。「近代以前には、中国には『天下』という概念しかなく、『国家』という概念はなかった。中国人は『朝廷』は知っていたが、『国家』は知らなかった」。また、「国家」という概念は英語では4つの単語で表わされるとも述べている。即ち、state、country、land、nationの4単語の違いが中国語では未分化、つまり、中国人にとって「国家」とは政府なのか、国土なのか、民族文化なのか、人民なのかが明確になっていないと指摘する。だからと言って、中国の憤青が西洋に比べて偏狭であってもいいという理由にはならないが、日本人から見ると理解しがたい彼らの感覚の背景には、このような中国人の伝統的な国家観があることは知っておいてもいいだろう。