「ったくもう、ウチの資材、何の役にも立ちゃあしねえ! なあ、次郎さんよォ、そう思わねえか? あれも無いこれも無い、無い無い尽くしのオンパレード、これじゃあ、ものづくりなんて出来ねえよォ!」。

 どうやら、調達先のメーカーが火事で生産がストップ、ウチの製品作りに欠かせない資材が入ってこなくなったんですナ。まあ、火事という災難ですから、仕方のない話ではありますが、ウチの資材部、そのメーカーに頼り切り、と言いますか、他に同じ資材をつくっているメーカーがあるのかないのか、それさえも知らなかったと言うのですヨ。

 それと、いまさら言っても仕方のない話ですが、在庫もゼロ。ジャスト・イン・タイムで入荷してくるのが前提ですから、そもそも、在庫するという仕組みがなかったのですナ。

 「ええ、冗談じゃあねェ、普通だったら二社購買、それが当り前だろうに、一社で大丈夫って、他に何の手当てもしていない。あげく、在庫もゼロ。他のメーカーを当たるくらいはして欲しかったぜェ。なのに、そんな必要はなかったと、シレッと言いやがる。頭っから、問題無し、大丈夫、そう信じているから世話ァねえや! しっかりと信じて、それで大丈夫なら、イワシの頭でも拝んでろってんだ!」。やれやれ、部長の怒りは収まりません。

 「で、どのくらい滞るんだ? その資材が入らないと、いつまで止まるのサ?」。聞くと、「それも分からねえって言うんだから、もう、どうしようもないよ。せめて、一週間なのか数週間、或は数カ月、それが分かれば、その間にしておくことは何か、それを考えることもできるんだが、何時までかどうなるか、分からないし、他も知りませんって、ええ、こんな話、アリエンティ!」。

 ははは、久しぶりのアリエンティ、それにしても困ったもんですな、不測の事態を、全く想定していなかったてェ事ですワナ。

 「まあ、百歩譲ってヨ、確かにジャスト・イン・タイムで調達するのは分かる。なるべく在庫を持たないようにするのは分かるが、万々が一にも何かあったらどうするか、要するに有事の対応までを考えて調達するのが、資材担当の役目じゃあねえか。それを、何の対策もしておかないで、唯々、一社だけを頼り切るなんざァ、赤ん坊が母親のおっぱいを呑むのと同じだァ!」。う~ん、ちょっと例えが違うような気もしますが、まあ、同じ事ですヤネ。それにしても、この、在庫を持たないジャスト・イン・タイムの弊害が、これほどまでに深刻なことになるなんて、今まで考えませんでしたヨ。

 案外この話、深いものがあるような…。

 昭和の34年、アタシの記憶に間違いなければ、その時からですヨ、大手自動車会社の調達方法、いわゆる“カンバン方式”が始まったのですゾ。自動車の部品を、生産ラインにジャスト・イン・タイムで納品する仕組み、以来、大手自動車メーカーはその仕組みで効率をあげ、まさに一直線で成長し、結果、今の世界一の座があるのですナ。

 必要なものを必要なだけ、必要な時間にドンピシャで納品するのが、カンバン方式。今では、世界中の自動車メーカーが、この方式を採用しています。そして、自動車だけではなく、家電も造船も、情報機器も食品も、あらゆるところの生産方式がカンバンと言っていいほど、このカンバン方式が行き渡っているのですヨ。

 しかし、今回のように、一旦、どこかで躓(つまづ)くと、その影響は、その仕組みに組み込まれた全ての事業者に及ぶのですワナ。納入先だけではなく、その躓いた会社にモノを納めている供給先も納品が滞る、要するに、ベルトコンベヤーのどこかに問題があると、全部止まるのと同じなんですヨ。

 「そうなんだ、ウチの生産ラインが止まるだけじゃなく、他からの仕入れも、納品してもらっても困るから、止めるしかないないのサ。そんな連鎖がグルリと回って、全部が止まる。なんか、恐ろしい気もするぜェ」。

 そうですヨ、丁度、ムカデ競走の、誰か一人の足が躓いたら、全員が倒れてしまう、そんな状況ですワナ。恐ろしいことですゾ。

 「ねえねえ、そんなに困るなら、うんと余分に在庫しておけばいいじゃない。確かに、コスト負担は増えるかもしれないけど、有事の備えとしても役立つし、長期的な調達をする方がコストも安くなるんじゃない? その方が合理的だし、第一、他の誰かに迷惑を掛けることもないじゃない。ある意味、余分に在庫する方が効率的じゃないの?」。

 お局、ズバリと言いますヨ。確かに、今まで、余分な在庫なんて悪い事、そう言われるのがオチでしたが、こんなことがあるのなら、むしろ、積極的に在庫する方が正しいのかもしれませんゾ。

 「何でもかんでも、ギリギリで回っている会社なんて、一旦、何かあったら脆いもの。そういうのを自転車操業って言うのよ!」。厳しいですナァ、自転車操業。確かに、結果として、調達先の火事で生産が止まるなんて、今まで、いかにアヤウイ経営だったのか、思い知らされましたぜェ。

 「要するに、今まで上手く行っていたこと自体が、奇跡的なことかもしれないわよォ。ジャスト・イン・タイムの仕組みが、これほど行き渡り、しかも、中小零細企業までもが、ちゃんとその仕組みに組み込まれ、何の不都合もなく成り立っていたなんて、アンビリーバボウ!」。おっと、英語が出ましたヨ。そう言えば、お局は帰国子女っていうか、ホントは英語が母国語ですワナ。

 話を戻して、「だよなあ、俺たちも何時の頃からか、ジャスト・イン・タイムが当たり前、誰も疑うことなく、そうして来たよナァ。それが、本当に今まで何とかなってきたんだから、奇跡かもしれねェ。確かにナァ」。部長も不思議そうに言いますヨ。

 「言い換えれば、ジャスト・イン・タイムてェのは、“誰もがちゃんとできる”のが前提なんだ。それを、世界で初めて、日本の大手自動車メーカーさんが始めたてェ事サ。いい加減なヤツが一人でもいたら成り立たない、そう考えると凄い仕組みだよ。それは、今考えると、レベルの高い人がいる、その前提だったよなあ。しかし、裏腹にモノが滞るリスクがあるのを、俺たちは忘れてしまったのサ。反省しなくちゃいけねえナァ」。

 そうですヨ、リスク、そこが肝心ですワナ。いい事ばかりに目が行って、実はリスクが見えなくなる。いつも、何があっても大丈夫なように、いつでも不測の事態に備える、それが大事ですワナ。

 そんなこんなで赤提灯…。

 「でしょう? そうなのよ、備えるって事、つまり余計なことや余分なことをするのが結果として備えるって事になる、それが肝心よォ。そういうのをね、備えあれば憂いなしって言うのよ。アスパラ知ってた?」。

 「せ、先輩、いくらなんでも、それくらいは知ってますよ。でも、ボクは現実として、そんな経験はありませんから、まあ、備えるという意味で先ず貯金、ですかねえ。いえいえ、金額は少ないのですけど、月々の給料から毎月貯金をしてるんです」。

 欧陽春くんも、「ボクもそうです。中国に比べると物価が高いので、なるべくお金を使わないようにしていますが、加えて、貯金もしています。こちらではささやかな金額でも中国のレートでは、結構なお金になるんです」。

 聞いたお局、「アンタ達、若いくせに貯金してるんだ。アタシ、若い時はうんとお金を使ったわ。外国にいた時もそうだったけど、帰国してからも、いろんな事にお金を使ったのよ。ううん、遊びじゃなくて、勉強のためにね。本を買ったり、勉強会に参加したり、何より、面白い人と交流するために、一緒に会食したりお酒を飲んだり、要するに、自分への投資ね。今思えば、自分の将来の為の備えよ。人間も、備えあれば憂いなしヨ!」。

 「イイこと言うなあ、俺も若い時には相当飲んだぜェ、備えあれば憂いなしって言いながら、そりゃあ、しこたま呑んだものサ、なあ、次郎さんよォ」。ははは、よく言いますヨ、部長。アンタが呑んでいたのは、ただ、酒が好きなだけでしょうが。しかも、そんな事を言うのなら、今だって、備えあれば憂いなし状態じゃありませんかねェ…。

 飲むほどに酔うほどに…。

 「さあ、帰りましょう。今夜はここまで。ところで、アスパラ、欧陽春くん、アンタ達貯金があるって言ってたわよねェ~。たまには、アタシ達におごるってのはどう? 今夜おごったくらいで、備えが無くなる訳じゃなし、おご馳走様!」。

 と、あわてると思ったら二人、「そ、そうか、確かにたまには出してもイイですね。でも、今夜の飲み会は予定していませんでした。ですから、ボク達のお財布はジャスト・イン・タイム、余分なお金がありません」と、そろって財布を開けて見せ、「ね、空っぽでしょう!」って、こうなる事を予想していたみたいですヨ。

 お局、呆れた顔して、「はは~ん、アンタ達、最初からこうなると思っていたのね、やるじゃない!」。ははは、見事に一本ってやつですヨ。

 しかし、こうなったらアタシが持つしかありませんヤネ、まさに、余分な出費ですナ。