東日本大震災から三週間が経ちました。被災状況の全貌は未だ明らかになっておらず、福島の原発事故は終息に向かう様子が見られません。震災の影響、特に原発事故の動向は世界的にも注目されており、福島、東京、日本のイメージに大きな影響を与えています。

 震災後、私は海外の知り合いの研究者から、何十通ものお見舞いメールをいただきました。日本人は、苦境においてもパニックにならず、落ち着いていて、我慢強い、きっとこの難局も乗り越えられる、と。日本人の国民性は世界の人々に驚きと敬意をもって伝えられています。今回は、この日本の「ブランド価値」について考えてみたいと思います。

 財務諸表の中で、バランスシート(賃貸対照表)をご覧になったことがあると思います。バランスシートとは、企業の決算日の時点での資産・負債・資本を表したものです。資産の合計は負債と資本の合計に一致している(バランスしている)のでバランスシートと呼ばれます。バランスシートについての詳細は別の機会に述べることにします。資産の中には建物や工場のような有形固定資産の他に、無形固定資産というものがあります。無形固定資産は目に見えないけれども、企業が市場でライバル企業と競争するために保有している財産です。無形固定資産としては、特許権、商標権、意匠権やロイヤリティ契約などの法律で規定される権利から、ソフトウエア、営業権(のれん代)などがあります。

 「ブランド価値」は無形固定資産の中の「のれん代」にあたります。つまり、「のれん代」とは、企業のブランド価値を金銭で表したもの。例えば、SONYという会社の名前には、「革新性、センスの良さ、若さ、グローバル企業」といったブランド価値があるでしょう。一方、Mitsubishiという会社の名前からは、「安定、安心、重厚、歴史」といったイメージを持たれるかもしれません。ブランド価値は会社に留まらず、例えば、iPod、Androidのような商品やソフトウエアの名前に付加されることもあります。

 ブランド価値を金銭で表した「のれん代」は短期間にできあがるものではなく、企業や商品が長い時間かけて市場に商品を出し、市場から少しずつ信頼されて積み上がっていくものです。実際に「のれん代」はどのようにして計算できるかというと、例えば1000億円の有形固定資産(工場など)を持つ企業が1200億円で別の企業に買収されたとします。その場合、差額の200億円が「のれん代」を含む無形固定資産になります。

 「のれん代」に関する最近の例では、ビクター・JVCとケンウッドが経営統合し一つの会社になりました。しかし、いまだにビクター・JVC、ケンウッドというブランドは統合されておらず、商品を紹介するホームページも別々です。これは、二つのブランドにはそれぞれ長い時間を掛けて培ったブランド価値があるので、一つに集約してはもったいない、という判断もあるのだと思います。別の例としては、インスタントカメラをはじめとする光学機器や写真フィルムのパイオニアである米国Polaroid社が2001年に経営破綻しました。Polaroid社は投資会社に買収されるなど、会社の業務形態が転々とした結果、今ではPolaroidブランドで液晶テレビなどの販売も行う商社のような会社になりました。現在のPolaroid社とインスタントカメラを開発・製造していた頃のPolaroid社は、別の会社と言ってもよいほど業務形態は変わっていますが、「Polaroid」という名前のブランド価値が高いため、会社名が存続しているのでしょう。

 ブランド価値というのは会社だけでなく、先に述べた国民性、個人あるいは国家に対しても存在します。「日本」のブランドイメージといえば、「安全・安心で高品質で高い技術を持つ国」というところでしょうか。Stanford大学のMBAの授業でも家電や自動車のメーカーを中心に日本企業のケーススタディは多く取り上げられていました。また、自然科学や技術開発の領域でも、研究論文数は各国の技術力を測る物差しの一つとなっています。例えば、私が専門とする集積回路分野で最も主要な学会であるISSCC(International Solid-State Circuits Conference)では、毎年、国別の論文の件数が注目を集めています。2011年2月に開催されたISSCCでは、日本の論文数は米国に次いで世界第2位で、世界の中でも技術立国というゆるぎないブランドイメージを持っていました。

 震災後の現在の日本はどうでしょうか。国民性に対する評価は高まった一方で、「日本、大丈夫か?」と世界の人々が、原発の動向や復興に向けた取り組みを、固唾を呑んで見守っています。
この三週間、暗いニュースが多く、正直私も直接的に被災していないにも関わらず、最近の状況に不安がないといえば嘘になります。しかし、今、「日本」は注目されています。この危機にどのように立ち向かうのか、再び技術立国として復興できるのか。日本ブランドの価値は危機にあります。

 直接被災していないけれど、少し元気がなくなってきている多くのエンジニアのみなさん。突飛なこと、できないことをがむしゃらにやろうとする必要はありません。出ない元気を無理やり出す必要もありません。今まで発表していない技術の論文を国際会議に投稿し、発表する。開発した新商品をプレスリリースする。様々な国の人で構成される国際会議のプログラムの企画運営に関わる人は、学会のテーマ・パネル討論・フォーラムなどを積極的に提案する。国際学会では、質疑応答の言語が英語であってもひるまずに、今までよりは少しだけ積極的になって、質疑応答に加わる、ということでも良いでしょう。

 数年前、「ハチドリのひとしずく」という物語が話題になりました。小さなハチドリが、燃えている森に水を一滴ずつ落としていきます。何もせずに逃げ、笑う他の動物達に対し、「私は、私にできることをしているだけ」というハチドリの言葉。

 震災に対し、直接的に何もお手伝いできない、という無力感を持っている大学などの研究者は多いのではないでしょうか。「日本」のブランド価値が世界に注目されている今、一人一人のエンジニア・研究者が日本の技術力の広告塔として、様々な場面で「日本」という国のブランド価値を高めていく、それは、個人個人の少しずつの頑張りで大きな力になるものと私は信じています。