「ったく、売れねえ、売れねえって、耳にタコが出来るくらいだぜェ、ナァ次郎さんよォ、ウチの営業、とにかく芸が無いと思わないかい? 売れないと結局、商品が悪い、そう言って俺達のセイにするばっかりじゃないか」。部長がおかんむり、イヤ激怒にちかい怒り方ですヨ。

 どういうことかと言いますと、お客様には受けがイイ、そう思っていた自信作の新商品なんですが、これがちっとも売れない。なので、営業からコテンパンに非難されているようなんですナ。いつもの事ですが、売れれば営業手腕、売れなければ開発のセイ。こんなことじゃあ、営業と開発の距離は、益々離れるてェことですヨ。

 「第一、試作が出来た時点で、それなりの感触をつかんでいた筈じゃあねえか、『これならいける』、そう言った当人が、『これでは売れない』。どういう了見だア!」。

 部長が言うには、試作が出来上がり、その時には十分に営業の意見も取り入れた、そういうことらしいんです。しかも、営業もそれなりに顧客にはテスト・マーケティング的な事をしていたんだそうですヨ。なのに、フタを開けたら売れない。まあ、当てが外れたてェことですが、ちゃんと原因は、把握しとかなきゃいけませんワナ。

 「よく聞くと、値ごろ感が合わないようなんだ。営業も、ハナからそう言えばいいのに開発が悪い! って言うからさ、頭に来たってことサ。ここは冷静に考えて、これからどうするか、ナァ次郎さん、何かイイ知恵はないかナァ」。

 要するに、価格設定が顧客側から見れば、ちょっと高い。それで手が出ないようなんですナ。性能が悪いとか、使えない、そんなことではないらしいのですヨ。要するに、顧客側のご担当では決められない値ごろ感、あるじゃありませんか。社内でりん儀を通す手続き上、上のシトに納得してもらえないような、そんな値ごろ感なんですナァ、これが。皮肉なもんですヨ、景気が悪い、そう言ってしまえばそれでお終いなんですが、相手も欲しい、こちらも売りたい、なのに、すうっと決まらない。こんなこともありますワナ。

 「じゃあ、売らないで使ってもらえばいいじゃない!」。おっと、お局の乱入です。

 「う、売らないで使ってもらうって、どうするんだィ、ええっ、タダで使わせようって事かァ?」。部長も怪訝(けげん)そうに返します。

 「部長、いくらアタシが変な女でも、タダなんて話はしないわよォ。使ってもらって、使った分だけお金を貰うの、ちゃんとネ」。ふーん、お局は自分が変な女だって、分かってるんだ、ということはさて置き、説明してもらいましょう。

 「先用後利って知ってる? センヨウコウリって言うの。昔、越中富山の薬売りってあったでしょう。その薬の売り方が、先用後利なのよ」。へ~え、越中富山の薬売り、懐かしいですナァ。アタシ達の子供の頃、時々、その薬売りのおじさんが、大きな荷物を背負って、一軒一軒まわって行商していましたヨ。

 「オイオイ、越中富山の薬売りなんて、なんで知ってるんだよォ。お局は一体いくつなんだァ?」。聞かなきゃいいのに部長が口をすべらせます。

 「何よォ、アタシの歳は関係ないじゃない! 親から聞いたのよ、親から。そんな昔のこと、直(ジカ)に知ってる訳ないじゃない!」って、ムキになるのは、知ってる証拠ですヨ。まあ、これもさて置き…。

 「父が教えてくれたのは、越中富山の二代目藩主、前田正甫(まえだまさとし)公が、どうやって全国に薬を売るか、その戦略を、たったの一言、先用後利、そう言ったのだそうよ。今の言い方なら、先に服用してもらって、後からお金を貰いに行け。そういうことね。要するに、全国を旅しながら、薬箱に入った薬、配置薬というのだけれど、それを一軒一軒に、とにかくタダで置いて行ったのよ、タダで。そして、定期的に訪問して、その薬箱を開けて、お客さんが飲んだ(服用した)分だけ、お金を貰い、補充したのよ。お客は、最初はタダだから何の負担も無いし、風邪をひいたりケガをした時にはサッと使い、しかも、その代金は飲んだ分だけを後で支払うのだから、それはそうよねェ、みんな安心して配置薬を置かせたそうよ」。

 部長も納得です。「思い出すナァ、俺達の家には、例外なくどの家にも置き薬はあったぜェ。今考えれば、夜中に熱を出しても腹が痛くなっても、応急処置の薬が、目の前に、直ぐ手の届くところにあったのだから、そりゃあ助かったもんサ」。アタシの家にもありましたワナ。懐かしいですヨ。

 部長が更に補足します。「タダで配ったてェところが正甫さんの凄いところよ。大体、タダと言われた途端に、拒否する理由は無くなっちまうよナァ。例え、自分は絶対に風邪をひかねえなんて強がり言っても、ひく時はひくもんサ。で、その時、目の前に薬があれば、自然に手が出るてェ訳ヨ。しかも、飲んだ分だけ後で払えばいいとくれば、そりゃあ気楽なものさナァ。だから、しょっちゅう飲むようになって、薬屋で売るより、よっぽど売れたってことヨ」。

 確かに、越中富山の配置薬は有名、というよりお江戸の時代に、我が国の家庭用常備薬としてほぼ100%のシェアを誇ったということですから驚きですヨ。今のお金にして、年間2300億円もの売り上げを計上したというから、大したもんですワナ。それが400年前から続いているというのですから、まさに、最強のビジネスモデルとでも言えますヤネ。

 「ネ、先用後利で行きましょうよ。お客さんに売らずに、『最初はタダですから、まあ使ってくださいよ。お代は後で、しかも使った分だけでいいですよ』って言えば、誰もイヤとは言えない筈よ。ねェ、そうでしょう次郎さん」。お局、自信満々ですよ。

 …さてさて、いつものように赤提灯。

 「先輩、確かに売らないで使ってもらい、後で使った分だけお金を貰うってのはいいと思うのですが、それって、レンタルとかリースと、どこが違うんですか?」。アスパラの質問です。

 「ふふ~ん、アスパラ、それはいい質問よ。いい、レンタルとかリースってのは、自分で使うかどうか、そのこと自体を考えたりしないでしょう? もっと言えば、使うということと、その料金が最初に決まっているのが前提なのよ。レンタカーならば、借りるクルマと期間が決まっているじゃない。だから、その料金は決まっているという訳よ。リースもほぼ同じよネ。ところが、この先用後利は、使うかどうかも、どれだけ使うかも、使う期間も、そして、ここが一番肝心な事、値ごろ感も、はじめには決まっていないのよ。これが一番の大事なところ。いい、目の前にある薬を飲むか飲まないか、それを決めるのもお客様だけど、高いか安いか、あまり気にしていないで飲んでしまうのよね。だって、そうでしょう。それが必要だから、必要な分だけを飲んでしまうのよ。究極の“顧客直結型ニーズ”に対応しているってことなのよ、凄いでしょう。結局全部、お客さんの都合で決まる訳なのよォ! ここが、レンタルやリースと絶対的に違うところよ。つまり、全て、お客さんの好き勝手にできるところが安心なのよ。しかも、買い取りではないし、商品はあくまで置かせているだけ、使う時に初めて買った事になるけど、それまでは自分のものではない、業者の所有物。これが気楽なところよねェ。所有しないから、在庫はないし、何の経費も掛らないって訳ネ。つまりお客様側のリスクは、限りなくゼロなのよ!」。

 いやぁ、小気味いいですナァ。久しぶりのお局節、しびれますぜェ。

 欧陽春くんも、「へえっ、凄いですね、その正甫さん」って、おいおい、お殿様を気安く呼んじゃあいけませんヨ。ははは。

 「多分中国ですと、その薬は直ぐに無くなると思います。イヤ、飲んで無くなるのじゃなくて、家の人も近所の人も、直ぐに持ち出してしまって、あっという間に無くなると思います。イヤ、悪気があるとか無いということじゃなくて、タダで置いていったのだからタダで貰える、そう思うのが自然なんです。日本人は、ちゃんと、飲んだ分だけを管理して、しかもちゃんと払うのですからで、大したものです。本当にそう思います」。

 欧陽春くん、やけに感心してますよ。そう言えば、中国では、今になっても、郊外に自動販売機を置くなんて考えられないという話、聞いたことがありましたヨ。

 …飲むほどに酔うほどに…、突然お局が、真顔で語り始めました。

 「ねえ、人事にも先用後利ってないかしら。真面目な話よ。人事って、社員がその職場に合うか合わないか、採用して、やってみなければわからないじゃない。だから、先ずは働いてみて、合えばいいけど、そうでなかったら、会社はその間の賃金を支払わないようにすればいいと思うの。一見、タダ働きに見えても、働いた側も仕事が合わず、思うように出来なかったのだから、貰わない方が気楽だと思うのよ。当たり前だけど、ちゃんと合って、ちゃんと仕事ができたら、それに見合った賃金を払う。問題なのは、出来ても出来なくても同じ賃金を支払うから無理があると思うの。会社側は、期待したのに裏切られたように感じるし、社員の方は、思うほど貰えないと不満だし、ボタンの掛け違いがあるのよ。先用後利なら、お互いに、恨みっこ無しって訳よォ」。

 う~ん、お局イイこと言いますよ。確かに、一律の賃金を払ったり貰ったりするから、お互いに齟齬(そご・くいちがって、思うように進まない事)が生じるのですヨ。働く方だって、ダメならダメで、次のチャンスが欲しいじゃありませんかねェ。その方が、次々と気楽に試すこともできますヤネ。

 この歳になるまで職場に居て、何が可哀想って、仕事が合わないシトですヨ。我慢して我慢して、結局退職を余儀なくされる。そんな事を、一体、何百回見てきましたかねェ。

 黙って聞いていたアスパラ、「先輩、じゃあボクはどうでしょうか。ボクの場合の先用後利、どうなりますか?」。

 すかさずお局、「いい質問よ。アスパラ、アンタの場合はずうっとタダ。むしろ会社に払ってほしいくらいよォ。だってそうでしょう、今のところ、周りが教えているだけじゃない。でも、言われた事はできるから、その分を考慮してプラスマイナスゼロって事ネ。だから、早く一人前になってネ」って、冗談なのか、本音なのか…。

 ところがアスパラ、「やはりそうですか。ボク、自分でもそう思うのです。先輩をはじめ、周囲の人が親身になって教えてくれる職場、他には無いと思うのです。この会社、本当にイイ会社です! だから、一日も早く一人前になって、ちゃんと恩返しをして、胸を張って、ちゃんと給料を頂けるようにします!」って、大丈夫ですかねェ。お局も、拍子抜けというか、何と言うか、目がテンになっちまいましたヨ。でも、このアスパラ、案外、大物かもしれませんゾ。

 …ってなところで、最後に、取り繕うように部長が、「じゃあ、アスパラがちゃんとなるように、乾杯!」って、分かったような分からぬような…。