大学時代というから1970年代の初頭,当時登場したばかりのマイクロプロセサに興味をもった。米Intel社が世界最初のマイクロプロセサ「4004」を発表したのが,1971年だから,まさに黎明期である。同社の「8085」や米Zilog社の「Z80」,米National Semiconductor社の「SC/MP」(スキャンプ)といった8ビット・マイクロプロセサを買ってきては,回路を組み立てる日々だったという。当時としては,先端の“マイコン・オタク”だったと言えるだろう。

 マイコンを選んでコンピュータを自分で設計し,組み立てる経験は,その後の爆発研究でも生かされる。というよりも,コンピュータを趣味とする人生は,爆発研究の道を歩むようになった後も継続されたといった方が正しそうだ。

 吉田氏は1985年に米ニューメキシコ州立工科大学の客員研究員として1年間渡米するが,当然のように当時普及し始めたパソコンに取り付かれ,帰国後もFORTRANによる数値計算のプログラミングに明け暮れた。

 コンピュータ開発の転機は1997年に訪れた。

マイコン・オタクの真骨頂

コンピュータ・シミュレーションも事業の柱
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 年末になり,本業である爆発関連の調査が一段落付いた吉田氏は,インターネットで調べ物をしている時に,「Beowulf」(ベオウルフ)というプロジェクトの存在を知った。Linuxを搭載したパソコンなどを高速通信ネットワークで接続し,並列処理によって演算性能を高める方式を使っていた。

 「並列処理用のオープンソース・ソフトウエアを使って複数のパソコンをつないだら,高速演算が可能になる。これは,目からうろこでしたね」と振り返る吉田氏は,並列計算に強い興味を抱いた。当時からオープンソースに目を付けていたのも,オタク精神発揮ということだろう。翌年の1998年秋には,早くもPentium 2を載せたパソコンを16台つないだ並列処理マシンを完成させた。

 余談ではあるが,吉田氏は「オープンCAE学会」という学会の会長も務めている。流体計算やCAD用ソフトウエアなどの専門性の高い分野でも,オープンソース化の波が押し寄せている。その分野を研究する学会だ。

 並列計算機やオープンソースの世界に足を突っ込んだマイコン・オタクの真骨頂は2003年である

 ある政府機関の予算が付き,東京工業大学 教授の青木尊之氏と共同で,64台のパソコンをつないだ並列計算機「Bakoo」を完成させる。この計算機は,当時のスパコン世界ランキング351位にランクされた本格派だ。

 「比較的安価なGビットEthernetでは通信速度が遅くて性能が上がらなかったので,結局さらに高速な通信ネットワーク技術を採用せざるを得なかった。通信部分のコストがシステム全体の半分を占めました。それでも,1GFLOPS当たりのコストは当時の世界1位だったスーパーコンピュータ『地球シミュレータ』の10分の1程度でした」

 吉田氏は,こう胸を張る。

 失礼とは思いながらも思わず質問してしまった。