「次郎さんよ、開発が上手くいく組織って、どうしたらいいのだろうか…」。開発部長の悩み、分かりますヨ。アタシも元開発部長、同じようなことがありましたからネ。

 「へえ、部長も悩むんだ。でも、組織よりも、上手く行かない原因は、他にあるのじゃないかナァ」。そう言いながら、自分も経験した切ない悩み、参考になればと、話してあげることに…。今は、懐かしい思い出ですが、今の部長と同じ、当時のアタシにとって、相当に堪えた悩みだったのですヨ。

 そうそう、今回の話、開発を進める上で、最も基本的なこと、あるいは、開発リーダーが乗り越えなければいけないハードルかもしれません。それは、本質みたいなもので、これが絶対なんて言いませんが、案外、大事なことですゾ。まあ、聞いてくださいナ。

 部長になりたての頃、そりゃあ張り切りましたヨ。何て言ったって、部長ですから、現場の長、自分の判断で開発部を切り盛りできるのですから、張り切らなくちゃいけませんヤネ。しかし、実際には大変なことがあったのですヨ。今、思い出しても冷や汗が出るくらいです。

 何が大変だって、部員の士気、これが全然上がらないんです。士気が上がらない理由は明らかで、部員から、開発のネタ、つまりアイデアが出ないのですヨ。アイデアが出ない開発部なんて、士気が上がる訳ァありませんヤネ。

 アイデアを出そうと会議をしても、みんなダンマリ。下を向いたきり、ピクリとも会議が弾みません。初めてのデートのように、いや、デートだったらドキドキしますが、アドレナリンの出ない開発会議なんて、まるで、お通夜のようでした。

 新事業や新商品を開発するのがアタシの役目、それなのに、新事業・新商品の元ネタになるアイデアが出ない開発部なのですからシャレになりません。

 今だから言えますが、それこそ胃が痛む思い、このままじゃあ、病気になっちまうのじゃないかと、周りのシトが心配してくれたほどでした。

 とにかく、できることは何でもしましたヨ。例えば、環境を変えようと、くつろげる雰囲気の空間にすればいい、そう考えて自然木の机や丸太の椅子、そんな場をつくったり、あるいは、出勤時間を自由にして、アイデアを考える時間的な自由を与えたり…。でも、なぜか上手く行かないのです。いくら、こちらから仕掛けても全然ダメ、本当に、あの時ほど苦しい思いをしたことはありませんでした。

 あれこれ悩んでも仕方ない、ある意味で開き直っていたときでした。

 「次郎さん、それは三上だよ」。友人から、そう言われたのです。

 「いいかい、次郎さん、部長になって張り切っているのは分かるが、アイデアを出せと強制しちゃダメだよ。だってそうだろう、次郎さんだって、強制されてアイデアが出ることなんてないだろうに。人間、アイデアが出るときは、三上なのサ」。

 ちょっと、解説しましょう。

 三上とは、この友人が考えたことではなく、北宋の時代の欧陽脩(おうようしゅう)という漢学者の遺訓だそうで、北宋ですから、およそ千年も昔の話です。この欧陽脩さん、自分がいい文章が書けるときは三つの上、すなわち三上だと言ったそうな。

 その三上とは、馬上(ばじょう)、枕上(ちんじょう)、厠上(しじょう)のことでして、馬上とは今で言えば自動車の上、つまりドライブをしている時やバスに乗っているときですか。枕上とは、枕(まくら)。文字通り枕の上ですから、ウトウトしているような状況です。そして、厠上。厠(かわや)はトイレ、お手洗いですナ。欧陽脩さんは、この三上にいる状況の時、いい文章が書ける、つまりいいアイデアが出ると言ったのだ、そのように、友人が教えてくれたのです。

 三上、それはまさに緊張から解き放たれた環境、そうアタシは理解したのです。ドライブだって、自分が運転している時は勿論、誰かに運転してもらって車窓を眺める気分、仕事を離れている時は楽しいじゃありませんか。ベッドに横たわりウトウトしている時もそうですし、トイレなんざァ一番、心が解放、いや心だけじゃなくて身(の一部、あるいは残渣、廃棄物、要するに…、もう、いいか)も解放されて自由になるてェもんですワナ。

 アタシ、本当に目からウロコ状態でしたヨ。だってそうでしょう、開発部長になって、部員に、さあアイデアを出せ、いいアイデアをドンドン出せ、そう言って強制していたのですから、欧陽脩さんの真逆じゃないですか。

 確かに、カタチだけの環境を変えて、自由を演出しようとはしましたが、肝心の、ココロの環境を自由にしようとは考えなかったのですヨ。

 さあ、原因が分かればこっちのもの。アイデアが出ない阻害要因を、一気に片付けちまおう、あとは行動するのみですワナ。で、どうしたかって、ははは、簡単なことです、部員に強制することや、行動を管理することなど、その全てを止めたのですヨ。

 そう、全てなんです、これが。こちらから、何かを催促したり、管理目的の規約的なことなど、全て排除したのですヨ。勿論、会社員としての必要最低限の社員規定・規約は遵守しなければいけませんが、要するに開発部としては、オールフリーにしたのです。

 しばらくすると、何も言われないし、何も指図されない部員の表情が変わってきましたナ。段々、指示・指図されない事で不安が募ってくるのでしょう、心配そうに、向こうから訊いてきます。「部長、どんな方向でものを考えたらいいんでしょうか」、あるいは、「具体的な指示がないと、何を考えたらいいか分からない」、という部員が出てくるのですヨ。これって、変でしょう、アイデアを出すのに指示が無いと出ないなんて、ついこの間まで、指示されても出なかったじゃありませんか、ねェ。

 放っておくのも大事、そう思って暫くは我慢しまして、頃合いを見計らって皆に言ったんです、三上の話。

 結果、皆の顔が緩んだんですヨ、言い換えればホッとした感じでした。そうかもしれません、それまで強制されていたのが急に放り出され、きっと、アキラメられたのではないか、そんな心配をしたのでしょう。それが、逆にアイデアを出すための解放感、自由な環境をつくる為に放っておいたんだ、それが理解されて、安心感に包まれたようでした…。

 えっ、その後の結果はどうだって? ははは、結果オーライとはこのことですゾ。誰もが自主的に物事を深く考えるようになり、何より、積極的になることで多くのアイデアが出るようになったのですヨ。

 さてさて、こんな話で赤提灯…。

 「いやあ、次郎さん、今日はいい話を聞いたぜェ。善は急げ、そう言うじゃあないか、早速、始めるヨ」。

 やれやれ、部長の顔も緩んできましたゾ。おっと、いいところにお局も登場です。

 「へえー、そうなんだ、三上で開発が進むのネ。いいじゃない、三上やりまくり部長、頑張ってネ」。「やりまくりって、変だなあ…」。さてさて、部長も元気になって、いつもの三羽ガラスですから、当たり前ですが、飲むほどに酔うほどに…。

 「ところで、アタシにも三上があるのよ、知ってる?」。あらあら、お局にも、三上があるらしいですゾ。「でも、あたしの三上は、イヤな三上よ」。ははは、いかにもお局らしいではないですか、嫌な三上、聞いてみましょうヤ。

 「一番目の上は、机上。二番目は、上から目線。そして三番目は、上辺(うわべ)。分かるでしょう、アタシが嫌いな『上』の付くこと。机上の空論で偉そうにしている人、上から目線で話す人、うわべだけの薄っぺらい人、だ~い嫌い!」。

 ハッとしました、お局の三上。確かに、この三上はいけませんヤネ。

 しかしお局、いつもお見事ですゾ。この“上”なく、今回も恐れ入りましたヨ。