坂井氏は大学卒業後に、大手企業に一度就職したものの、立命館大学に転職した。1999年から立命館大学の産官学交流事業推進室で活躍し、途中から関西TLOに出向した。そこで、2003年7月から文科省が知的財産本部整備事業を始めたことと、2004年4月の国立大学の法人化という、大学外に設けられた承認TLOの役割を再検討せざるを得ない事態に直面した。関西TLOの技術移転事業の収入は2004年度と2005年度は低迷した(図1)。この結果、技術移転事業の構造改革が急務になった。

図1 関西TLOが創業した1999年以降の技術移転事業収入の推移。構造改革した2006年度以降に急速回復している。業務委託という安定した収入構造を導入した効果(図は関西TLO提供)
図1 関西TLOが創業した1999年以降の技術移転事業収入の推移。構造改革した2006年度以降に急速回復している。業務委託という安定した収入構造を導入した効果(図は関西TLO提供)

 坂井取締役は、承認TLOとして技術移転事業で成果を上げている東京大学TLO(東京都文京区)や東北大学系の東北テクノアーチ(仙台市)、小規模ながら安定して黒字化している東京農工大学系の農工大ティー・エル・オー(東京都小金井市)などに通って、それぞれの承認TLOとしての仕事の進め方やビジネスモデルを学んだ。特に、東京大学TLOの山本貴史代表取締役社長からは「マーケッティングを重視する営業の仕方をイロハから学んだ」という。この結果、新生関西TLOは「関西圏での東京大学TLOを目指すことに決めた」とまで言い切る。

 “経営維新2006”と名付けた技術移転事業の構造改革は、まず人事改革を断行した。技術移転事業の営業を担当するアソシエイトを、若手を中心とする正社員に切り替えた。以前は、外部から出向した熟年のアソシエイトを先生役として戦力としていたが、この人事制度態勢を廃止し、技術移転事業を基礎から学んだ正社員に託すことにした。そして、給与などを目標管理を基にした成果給制度を導入した。坂井取締役は「アソシエイトが技術移転業務の専門家としてプロ化が進めば、将来は役員よりも高給をとる社員が登場する」と予言する。

 この若手を正社員として雇用して戦力化する人事制度は東京大学TLOが実践している人事制度そのものである。この結果、2006年10月から約2年間で役員と社員を合計した関西TLOの平均年齢は「67歳から36歳へ」と大幅に若返った。正社員数は2人から10数人と急増した。この結果、技術移転事業を担当するアソシエイトの営業力が高まった。

和歌山大と京大から業務委託契約を獲得

 人事制度の改革と同時に、関西TLOは大学の技術移転事業の営業部分に集中することで技術移転事業の収入安定化を図る構造改革を実施した。具体的には、クライアントとなる大学から、技術移転事業のマーケッティングと移転営業などの業務委託を獲得することを目指した。関西圏の有力大学に関西TLOが目指す技術移転事業のビジネスモデルを提案し続けた結果、2007年6月に和歌山大学と、2008年4月に京都大学と技術移転事業の“知的財産マネジメント”部分での業務委託契約を締結した。

 和歌山大から得た業務委託内容は、和歌山大の教員などによる発明の技術評価と市場価値を評価し、特許などの知的財産化したものの技術移転、大学の外部資金の獲得支援などだった。外部資金の獲得支援とは、産学連携による共同研究を発足させるための企画などの支援や、各省庁などが公募する競争的研究資金を獲得する支援だった。和歌山大のキャンパス内に関西TLOの和歌山大オフィスを設け、山本アソシエイトなどが技術移転担当者として常駐するようにした。

 京大との業務委託内容は,メディカル・バイオテクノロジー分野以外の分野で,京大が単独で発明した(企業などとの共同開発ではない)知的財産の技術移転の営業活動だった。教員・研究者などから京大の単独発明の条件を満たした発明届け出があると,関西TLOのアソシエイトが当該教員などにインタビューし、技術価値と市場価値を評価する。この評価結果を,京大の産官学連携本部に報告するなどの業務である。

 京大の産官学連携本部は当該発明を特許出願するかどうかをまず判断する。この結果、誕生した特許などの知的財産の技術移転先企業などを探すマーケティングを関西TLOが担当する。加えて、特許のライセンスや,その知的財産を基にした共同研究の発足などを支援する仕組みだった。