「なんで、そんなことで叱るのよォ!」。お局が、激怒していますヨ。アスパラが真っ青です。まあ、お局が怒るときはそれなりに筋が通っているのですが、今回、ちょっと過激ですヨ。一体、何があったんでしょう。

 「そんなこと、終わった話はどうでもいいの! 要するに、どうしてアンタがそんなに偉そうにするのよ? 第一、アンタが何か困ったことになったの?」。どうやら、入社2年目のアスパラが後輩、要は新人ていうことなんですが、誰もがしでかすチョンボをやったんで怒ったらしいのです。「そんなチョンボ、アンタだってしょっちゅうしてたじゃない。それを、先輩ずらして偉そうに、叱ったところでしようがない話を、なによ!」。えらい剣幕です。

 もう少し解説を。事の経緯は、アスパラが後輩(繰り返しますが、自分よりたった1年後輩なだけ)に指示した案件を、その後輩がうまくできなかったようなんです。そりゃあそうですヨ。1年目からちゃんとできれば、世話ァありませんワナ。できないから新人、ですよねェ。それをアスパラ、自分の経験をさておいて、立派な先輩面して叱ったのですから、お局もキレますヨ。

 「大体ねェ、新人なんだから、誰でも間違いやできないことがあって、当ったり前でしょ? できないから新人なのよォ。それを、やっとできるようになったアンタが、しかも、アンタが新人時代に、同じことで誰かに叱られたこと、あるゥ?」。アスパラ、グーの音も出ません。「大事なことは、叱るんじゃあなくて、同じ間違いをしないように、教えてあげるってことでしょうが! まるで、ヨチヨチ歩きの、それも、やっと立って歩けるようになったばかりの子供が転んだからって、それを叱るのと同じじゃない。いいっ? アスパラ、今度、同じことで叱ったら、殴るわよォ!」。

 お局、暴力はいけませんヤネ。しかし、これほど怒るお局、久しぶりですヨ。考えてみると、アタシも含めてよくある話。若い時には自分にも経験したチョンボや間違い。その時、うれしいのは先輩のさりげない助け舟じゃあないですかねェ。「オイオイどうしたィ? そうか、間違ったのか。まァ、新人なら誰にもあることサ。気にしないでイイよ。でも、今度はこうしたらきっと上手くいくからな」。そんな助け舟に、ある種の感動と言いますか、感激したのを思い出しますワナ。…なのに、いつの間にか、それを忘れて叱ってしまう。

 この話、案外、人間の性(さが)というか、宿命みたいに捨てきれない澱(おり)かもしれませんゾ。あえて、澱と言わせてくださいナ。その意味は、年月を重ねるほどに少しずつ増える、心の沈殿物みたいなもの、そう思ったからですヨ。心の沈殿物、それは知らず知らずに淀んで増えしまう、人間の精神に降り積もる、ヨドミ(淀み)ではないでしょうか。

 ヨドミとは、水が流れないで溜まることなんですが、心にも淀むことがあると思うのですヨ。大したことではないのに、サッと流せばいいことなのに、それが何となく心に引っ掛かり、それが残渣(ざんさ)となって少しずつ積もり、溜まってゆく…。それが澱なんですナ。

 振り返って、右も左も分からぬ新人時代、アタシは常に一生懸命でした。デキが良いか悪いかは別として、とにかく必死でした。それが、いつの間にか、そう、ある意味で余裕が出てくるのでしょうか、他人のすることにも注意がいくようになり、余計なお節介をするようになるんですナ。特に後輩、はじめは大目に見ているハズが、そのうち、ついつい叱ってしまうようになる。これなんですヨ。ちょっとしたチョンボや間違い、たったそれだけのことなのに、自分を偉そうに見せたい、そんな心の裏返しで叱ってしまう、のですヨ。それは、いつの間にか一生懸命ではなくなった自分の照れ隠し、あるいは、自身の焦りのようでした。

 今ごろになって分かるなんて、ずいぶん遅いゾ、と言わずに聞いてくださいナ。心の余裕が、ゆとりとは逆の方向に行く、そんな理屈かもしれませんワナ。お局の怒り、見ていたアタシも昔を振り返って反省しきりですヨ。ですから、いつもの赤提灯。お局への謝恩会とも言えますヤネ。

 「本当に、転んだ子供を叱る母親、大っ嫌い! 子供は転ぶのよ。なのに、『なぜころぶ、どうしてころんだのか?』。それを叱っても、転んだ子供はシャキッと立ち上がるわけではないでしょうに、叱る母親、最低!」。いやいや、まだ怒っていますよ。「逆に、ニコニコして『あらまあ、○○ちゃん、転んじゃったのねえ。さあ、泣かずに頑張って立ち上がりましょうね。誰でも転ぶ時は転ぶのよ。』って、それが本当の母親でしょ? 叱るより、励まして、次にどうするか、それが大切じゃない?」。そうですナァ、叱るより次のこと、それが大事てェことですヨ。

 さてさて、飲むほどに酔うほどに、お局が「アスパラ呼びましょうヨ」と言うじゃありませんか。「それはいいが、もう気は済んだのかい?」。部長も心配してますが…。「もう怒らないわよォ、それより、言い忘れたことがあるの。アスパラ、やはり後輩に謝るべき! それを言ってやろうと思うのよ」。まあ、それもアリかもしれません。アスパラの勉強です。

 で、呼び出しましたよ、赤提灯に。そしたら、何とアスパラ、くだんの後輩と一緒です。「いやあ先輩、ボク、こいつに悪いことをしたと思って、ちょっとおごって飲んでいたんです。本当にスミマセンでした。ナァ、ごめんな」。それを聞いたお局、傑作でしたよ。「ったく、心配させてェ。じゃあ、許してあげるから、ここのお勘定もお願いネ!」。アスパラ、まさに、鳩が豆鉄砲ですヨ。ははは。