新しい事業価値をつくり出すインキュベーションを仕事とすることに、黒石氏を虜(とりこ)になった。日本ではベンチャー企業の起業家はいても、そのベンチャー企業の経営に深く関わって外部から支援するVCの担当者はまだあまりいなかった。「これからの日本のインキュベーション創出にとって不可欠な仕事」と、黒石氏は考えた。

 当時、黒石氏は前田建設工業の社員だった。1981年3月に東京大学工学部建築学科を卒業し、前田建設に入社した。米国ロサンゼルス市のコンベンションセンターや中国香港の新空港などの建設プロジェクトのプロジェクトマネージャーなどとして活躍した。この仕事ぶりが評価され、米国ミシガン大学大学院に留学することが認められた。同大学院では工学修士号を得た。さらに、経営学も学んでみたいと、ニューヨーク大学大学院のMBAコースに入学した。前田建設は黒石氏を将来の幹部候補生としてキャリア形成をさせていたようだ。

 MBAコースでインキュベーションの面白さに目覚めた黒石氏は、日本のコンピュータシステム開発会社大手のCSK(現・CSKホールディングス)がVCを新設するため、キャピタリストを募集していることを偶然知り、同社に参加したいとの意志を伝えた。この結果、CSKベンチャーキャピタルに転職することになった。「前田建設が転職を許してくれたことに本当に感謝している」という。1996年12月に黒石氏はCSKベンチャーキャピタルに入社し、取締役・産学インキュベーション室長に就任した。同社で投資ファンドを設立し、バイオテクノロジー系分野の大学発ベンチャー企業の創業前や創業時などから支援した。東大発ベンチャー企業など2社をIPOさせるなどの成果を上げ、創業支援の実績を上げた。当時はVCがベンチャー企業の創業時から支援することはまだ珍しかった。ころだった

 大学発ベンチャー企業を創業時から親密に、しかし外部メンバーとして冷静に的確に支援するには、そのベンチャー企業の経営陣に参加する大学の教員・研究者と適時議論を重ね、その新規事業を成功に導く事業戦略や知的財産戦略を練り上げ、修正していくことが重要になる。投資した当該大学発ベンチャー企業の現時点での課題を、VCの経営チームとして侃々諤々(かんかんがくがく)の議論を重ねるには、その意志決定を早くすることが重要になってきた。またCSKもグループ企業の再編を試みた時期だった。

 こうした理由から、黒石氏たちは自分たちでVCを設立する意志を固めた。2002年9月に日本では珍しかった独立系VCのウォーターベインを設立した。自分たちの人脈や信用力で独自の投資ファンドを設けること自身が“新規事業”だった。

人脈を基にベンチャー企業の有力案件を発掘

 大学発ベンチャー企業の投資先を見つけるコツは、人脈を基に大学教員・研究者とよく話し合うことに尽きる。いろいろな人脈から、有力な案件候補になりそうな大学教員・研究者を紹介してもらい、約束を取って会いに行く。この場合に、まず事前に十分調査し、しかるべき人の紹介で会いに行く。単なる飛び込み営業ではなく、「どこまで深く考えているかが相手に伝わるレベルまで考え抜くことがポイント」と黒石代表取締役はいう。そのためには、当該教員・研究者の研究成果を理解することが重要になる。進展の速いバイオテクノロジー分野を学び、着目点を考え、新規事業を考える。

 ウォーターベインのパートナーの3人が工学部と理学部の出身だが、生命工学などのバイオテクノロジー系専攻ではない。理工系出身とはいえ、進展の速いバイオテクノロジーを学び続けることはかなりの難問だ、しかし、投資案件の判断を誤れば、自分たちにすぐにそのツケが回る。真面目に学び続けることが、局面を切り開く。黒石氏が望んだやりがいのある仕事は、実態はかなり厳しいものだった。

 毎週1回のパートナー4人の会議で投資案件をもんだ。大学教員・研究者などをインタビューした後は、こうした新規事業が成立すると、提案し、内容を煮詰めていく。創業した大学発ベンチャー企業が成長し始めれば、大手製薬企業などとの共同研究の仲立ちなどをするなど、成長過程に応じた支援を続ける。VCのハンズオンは手間がかかる。これを続けられるのは、お互いに信頼しあえる経営チームを組んだからだ。

 VC担当者として人脈を築く中で、黒石代表取締役は東大の先端科学技術研究センターの教員と親しくなり、先端知財人材育成オープンスクールの特任教授に就任した。2003年から2008年まで担当した。講義する内容は、バイオテクノロジー系の大学発ベンチャー企業を創業し成長させる際のポイントというケーススタディーだ。以前に、ニューヨーク大学大学院で学んだインキュベーションの授業をまねたものだ。今度は、新規事業起こしを企画し育成する人材を育てようとしたものだ。当然、先端研の教員・研究者と親しくなり、最新の研究成果に触れる機会も増え、実務に役立つことになった。

 ウォーターベインの投資ファンドの投資は、2003年から始まった。2003年は東京医科大学の医師2人と講師1人が2003年7月に設立したピリオドック(東京都世田谷区)と、東大の教員などが2003年12月に設立したナラプロ・テクノロジーズ(東京都文京区)の2社に投資した。2004年は、信州大学医学部教授と助教授など3人が2004年8月に設立したアネロファーマ・サイエンス(東京都中央区)に投資した。同社は、ビフィズス菌などの無毒の嫌気性菌をドラッグデリバリー(DDS)に応用した抗がん剤を開発する事業を構築している。同社の代表取締役は、ウォーターベインの三嶋徹也取締役・パートナーが務めている。投資ファンドの投資先として、公表しているベンチャー企業は7社に上る。ウォーターベインの設立趣旨にある投資先のベンチャー企業に長期的な支援を続けている。「継続投資案件の判断が最も重要」という。

 インタビューの最後に、「現在、日本の多くのVCは投資を減らし、新規事業がある程度確立し始めた成長期(レーター)に入った大学発ベンチャー企業に投資を集中させているようですが」と聞くと、「元々長期的な視点で創業期から支援をする基本方針に変更はない」という。こうした情況だけに、ウォーターベインの存在価値が上がるとみているようだ。また、「もし、前田建設に居続けた方が、偉くなって生涯賃金も多かったのでは」という意地悪な質問をぶつけると、どうなっていたかは分からないが、「自分たちで進路を決断し、その責任を負っていくことに悔いはない」という。「VCは実に面白い仕事だ」と言い切る。大学発ベンチャー企業では当事者である教員などの経営陣の活動にスポットが当たることが多いが、その企業を丁寧に支援するVCの実務者の実力者が増えないことには、日本の大学発ベンチャー企業はイノベーション創出に貢献できないだろう。黒石代表取締役は「日本でVCが定着するのには、もう少し時間がかかる」とみている。しかし、日本の将来に不可欠な存在なので定着するという。