こうして自動車には、消費者に安心感を持ってもらえるような極めて高い安全性を考慮することがこれまで以上に要求され、それに加えて、さまざまな品質、環境、燃費、さらにはデザイン性、楽しさ、乗り心地、静粛性など多くの制約条件の中で設計することが求められる。

 さて、ここで考えたいのは、こうしてクルマづくりの制約条件がどんどん厳しくなる一方で、特に新興国市場では、より簡素で低価格なクルマも求められる、ということである。一見矛盾した二つの要件を満たさなければならないという難問に自動車業界は直面している。

 この問題について、名古屋大学大学院情報科学研究科教授の高田広章氏が同書で、「『保安基準を守っていれば安全性に問題ない』と言えなくなってしまった」ので、「自動車メーカーにはこれまで以上に品質や安全性の向上を追及することが求められる」としたうえで、こう書いているのが示唆深い。

「これまで述べてきたことと逆の主張になるかもしれないが、日本のものづくりは高品質、高コストのものしか作れなくなってしまっているように見える。(中略)自動車の品質にも安全に関わるものや、故障に関わるものなど、いろいろなタイプがある。安全に関わる品質は妥協できないし、手は抜けない。これに対して、例えば乗り心地に関する品質は、最上級を常に目指すべきなのか。世界を見渡すと、そもそも路面状況が悪く、乗り心地うんぬんを語ることができない地域もある。こういう状況を勘案せずに品質をひたすら追求していくと、高コストで過剰品質になる。システムごとに求められる品質特性は異なるので、メリハリを付けて開発に取り組むべきだ」(p.149-150)。

 ここで指摘されている「メリハリ」に関連して考えさせられるのは、同書で、プリウスのブレーキの「不具合」を検証するくだりで、トヨタが伝統的にNVH(騒音・振動・ハーシュネス)にこだわる“NVHオタク”であるという指摘である(p.46)。

 それによると、プリウスの2代目では、今まで回生ブレーキが負担していたブレーキ力を油圧ブレーキに振り替えるようにしていたが、このポンプの騒音が“NVHオタク”であったトヨタの設計陣にとっては許せなかったというのである。そこで、3代目では足で押すことによるブレーキペダルの圧力を油圧ポンプ側に送って、ポンプの負荷を軽くして騒音を低減した。しかし、ブレーキペダル側の圧力と油圧ポンプ側の圧力に差が出て、この圧力差が「ブレーキの抜け」の感覚につながった(詳細は同書を参照されたい)。本書はこのブレーキ問題をこう締めくくっている。

「ポンプから騒音が出ることは避けられない。今回の経緯がなければクレームが出た水準かもしれない。NVHの立場からは忸怩たるものがあるだろうが、『安全第一』を外してはいけない。このことは設計基準に組み込まれただろう。トヨタは良い経験をしたと言えるかもしれない」(p.51)。

 ここで言う「良い経験」には、「安全」には手を抜けないということと共に、本当にそのこだわりの品質が顧客に求められているものなのかどうかを見直すということも入っているだろう。そして、その「経験」は中国などの新興国市場でも生きてくることに違いない。