「天然物ならいいのでは」という議論をさらに巧妙に仕立て直した手段も出てきました。長距離選手が高地トレーニングをすることは広く知られています。低酸素環境で練習をすると身体が順応して赤血球が濃くなります。高地にいる間にその強い血液を採血して保管しておきます。これをレースの前に再度自分に輸血をすると成績が向上するという手法で「血液ドーピング」と呼ばれる裏ワザです。自分のものだからいいじゃないか、それも自分の努力で鍛えた血なのだから…。このあたりになると非常にグレーですね。今では禁止されており、血液検査で特定できるようになっています。もちろんレース直前まで高地トレーニングすること自体はOKで、血を出し入れすることが問題なわけです。実はその先には遺伝子ドープなんて恐ろしいワザまであるそうで、出し入れしなくても問題は山積みです。

 似たようなノリの練習法に「加圧トレーニング」があります。腕や脚の付け根部分をバンドで強く縛りつけて、敢えて血行を悪くした状態で筋トレを行うと、軽い負荷で大きな負荷を与えたと同等の効果が得られるというものです。トップアスリートだけでなく、一般人にもダイエット手段としても普及しつつあります。普通のジムでも近頃は、腕を紫色にうっ血させながら頑張っている女性まで見かけるようになりました。このワザはルール的にも正々堂々OKです。

 アスリートが身体能力を高めるためのあの手この手、に関して話を進めてきました。ホルモンのような人工薬剤は×、民間療法的な天然素材でも特定物質を含むものは×、自分の血であっても出入りされれば×、高地や加圧でトレーニングして体力強化するのは○、という具合です。

 トップアスリートのパフォーマンスが肉体の芸術だとすると、本家の「芸術家」の方にこの話を当てはめるとどうなるでしょうか。芸能人の麻薬汚染が問題になっていますが、アーティスト、クリエーター、あるいはミュージシャンと呼ばれる系の人たちが幻覚作用を示す薬物とニアミスしていたなどというニュースをこれまでどれだけ目にしてきたことか。しばしば「創作のため」と彼らは自己弁護するわけですが、要するに興奮剤に頼る肉体系アスリートと同じ構造でしょう。

 幻想系のアーティストと言えば、シュール・レアリズムの旗手、サルバドール・ダリが浮かびます。グネグネに曲がりくねった時計や、昆虫と融合した象などは、幽玄の世界を映し出しています。彼はその天才的な画風を生み出すために独特な裏ワザを持っていました。スプーンを手に握って椅子に腰掛けてうたた寝をします。眠りに入る瞬間に力が抜けてスプーンが床に落ち、ハッと目を覚ます。その瞬間、つまり覚醒と睡眠の狭間に浮かんだイメージを絵に起こしたと言います。入眠幻覚と呼ばれるもので、夢の世界の再現のような感じです。あの奇抜な作風の裏にはそんな努力が隠されていたのですね。とことん独創性を追求する「ど根性」を感じます。高地トレーニングとか加圧トレーニングと似たような構造ですね。幻覚剤などに頼らず、自力で発起するトランスモード。さすがに「天才を演じていれば、天才になる」という有名な言葉を残しただけのことはあります。