図10

 河内は、弟子に持たせ固定させた茎に、自作の鏨を使ってリズミカルに叩きながら文字を彫っていく。小気味良い音と共に細かな三角形が連なって曲線やトメ、ハネとなり、やがて文字となって鉄肌に刻み付けられていく。

 「刀身は研がれていくけど、茎は基本的にずっとそのまま。刀がある限り、最後までそのまま残るんや」。刀の寸法を短くするため、「擦り上げ」といって茎の方を切断し再仕上げする方法がないわけではない。けれどもそれを例外とすれば、茎は研がれて減っていくこともなく、製作時の状態で保存されることになる。つまり、そこに彫られた銘も、常にその刀の顔として、刀がある限り、何百年も存在し続けるのである。

銘切りに使う鏨(たがね)。
銘切りに使う鏨(たがね)。

 それだけに、その意味は深く、責務は重い。この前までの段階で、微細な欠陥が見つかり泣く泣くはねることになった日本刀はいくらもある。最終段階に至るまでの何重もの欠陥チェックをパスし、最終的に刀匠が「後世に残してもかまわない」と納得できた数少ない作品だけが、この工程にたどりつけるのである。だから、銘を切る時は万感の想いが去来するという。

 このとき、自らの名前以外に、注文主に合わせた文字を切ることも多い。彼らからのリクエストの場合もあるし、東吉野の自然に着想を得た語を銘として切るときもある。それを見てから刀身を改めて鑑賞すると、銘があたかも絵画のタイトルのように、作家の思い、さらには刀やその背後にある様々なものを想起させてくれるようだ。
「銘を切るときはもちろんやけど、作っている時、折々にお客さんのことを考えるな。こうしたら喜んでくれるかな、とか思うわけや。そう思ってやってみて、実際に喜んでもらえると、そりゃ嬉しいな」

河内國平が製作した刀「白梅」。その茎(なかご)の指表(さしおもて)に銘が切られる。(撮影:宮田昌彦)
河内國平が製作した刀「白梅」。その茎(なかご)の指表(さしおもて)に銘が切られる。(撮影:宮田昌彦)
「指表の反対側には、製作年度などが鏨で切られている。(撮影:宮田昌彦)」
「指表の反対側には、製作年度などが鏨で切られている。(撮影:宮田昌彦)」

 現代刀の買い手は、どういった刀というよりも、作り手を見て、その人の作品が欲しいという人が多いのだという。オーダーメイド中心の河内は、そういった依頼を、細かい部分は「お任せ」というかたちで引き受ける。
「河内の刀が欲しいと言っていただける。これはすごい責任重大やんか。そりゃ全身全霊をもって応えたいと思うわ」

 しかし、どんなに刀が立派にできでも、切られた銘が下手だったら、注文主も興ざめしてしまう。作品作りを託してくれた彼らへの想いも込めて、作り手自身の境地を端的に伝える銘を美しく切りたいと思うのは当然であろう。そのためには、鏨使いに長けていなければならないが、それ以前に文字がきちんと書ける必要がある。だから河内は、弟子たちに、小学校で習う漢字を毎晩ひと文字ずつ鉛筆で練習することを義務づけている。