「足」と呼ばれる線状の「働き」を描いていく。
「足」と呼ばれる線状の「働き」を描いていく。

 直刃は、起源的かつ最もシンプルなデザインと言えるだろう。それを発祥として、かなり早い時期から刃文は多くのバリエーションを生んでいく。波模様を描く互の目(ぐのめ)や、滴状の細かな模様が上向きに連続する丁字(ちょうじ)といった「乱れ刃」の刃文が考え出され、それぞれの「時代の流行」にさらされながら今日まで伝えられてきたのである。

 その、日本刀にとって重要な要素である刃文を大きく左右する焼刃土は、土と砥の粉(とのこ)、炭の粉などを混ぜて刀匠自身が作る。火床(ほど)の中ではがれ落ちないようにするためなどに、刀匠たちは配合に工夫をこらす。その配合や土の種類などを秘伝とする人も多いようだ。

「葉(よう)」と呼ばれる刃中に入る点状の働きを入れていく。
「葉(よう)」と呼ばれる刃中に入る点状の働きを入れていく。

 「配合はオリジナルや」。そう言う河内が今使っている焼刃土は、赤紫色をしている。金肌(かなはだ)と呼ばれる酸化鉄を混ぜているからで、鼠色が一般的な焼刃土の中で異色の存在と言っていいだろう。ただ、河内は作りたい刀に合わせて配合を微妙に変えるし、今でも様々な手法を試みているという。「歩いていても車に乗っていても、あれは使えるかもと思ったら思わず止まって土を掘ったりする」ほど土には執着し、桃山時代から続く樂(らく)家の当代、十五代樂吉左衛門から、彼が楽焼の作陶に使う土を分けてもらって使ったこともあったという。

 重要なのは土だけではない。焼き入れで水につけた時に適度なタイミングで土がはがれるようにするためには、土に混ぜる砥の粉の種類や分量をどうするかが重要で、さらに塗る土の厚みを決定づけるのは、その粒子の粗さである。これら仕上がりに影響を与える要素が密接に絡んでいるだけに、決定版のレシピは存在しようがない。
「そんなもんで土だけは絶対に他人には見せんとか、配合は秘中の秘とか難しいこと言う人もおる。けど、結局は勘がどこまで働いているかや」

足と葉が複雑に入れられた状態。無作為に見える自然さを作為的に出していく。
足と葉が複雑に入れられた状態。無作為に見える自然さを作為的に出していく。

 そう言いながら、河内は自作の可動式の台に設置した刀全体に、これまた自作のへらで、土を塗っていく「引き土」の仕事を行なう。焼きをうまく入れるために、この仕事では、全体に均一に土を塗る必要がある。
「ここに薄い磁石を置いて、すーっと塗ってみたら同じ厚みにできるんやないかとか、まあいろいろやってみました。けど結局は、自分が熟練せんとあかんねん」

 道具を工夫し、さまざまな試行錯誤を重ね、結局はシンプルな「手の力」に戻ってくる。そこが河内らしいところだろう。

 「置き土」の工程に入ると今度は細いへらを使い、縦方向に直線状の足を入れ、刃中にぽつりぽつりと葉となる土を置いていく。
「焼刃土を塗った中へ、潜り込むような感じに土を置いていかな、いかんのですよ。そのまま焼きが入ると、くっきり出過ぎでおもろないねん」