2004年に第二の創業で研究開発・製造型に脱皮

 エナックスは1996年の創業当初はリチウムイオン2次電池の研究開発と製造支援を請け負う事業を本業とした。これに対して、2004年に研究開発から製造までを本業とする製造業に進化させた。小沢社長はこの時を第二の創業と位置づける。

 エナックスの実力が次第に広まった結果、多種多彩な企業との連携が始まった。2005年に日本の化学品メーカーの第一工業製薬、中国の天津一軽集団、エナックスの3社は共同でリチウムイオン2次電池の組み立て製造工場を天津市に設立した。同時に、ドイツのDegussa AGと電極材料の共同研究を始め、同社と共同で中国の山東省安丘市にリチウムイオン2次電池の電極製造を始めた。これによって、本格的な製造業として基盤を築き始めた。

 2006年に、村田製作所、大研科学工業(大阪市)、エナックスの3社は電池の開発、設計、製造、販売についての包括的な業務提携契約を締結した。

 2008年にドイツの自動車部品メーカーのコンチネンタルはエナックスの第三者割当増資の一部を引き受け、出資した。こうした提携や出資は、いずれもリチウムイオン2次電池の移動体向けの開発ではエナックスが先行していると評価した結果だろう。

 小沢社長は自分の研究開発能力と事業化能力に絶対の自信を持っている。リチウムイオン2次電池の性能を引き出すことにかけては、他社の先を行く自信にあふれている。その原点は、ソニーがリチウムイオン2次電池の製品化を図った際に、物理と化学の両面の原理原則を考え抜いて解を得た自信にあるようだ。当時、2次電池メーカーの研究開発担当者は、「長年の電池の研究開発から得た常識にとらわれていて、ある点で解を求め損ねた」という。これがソニーが最初に製品化できた幸運につながった。

 以前はソニーで磁気テープや磁気ヘッドなどの研究開発に従事してきた小沢社長は、リチウムイオン2次電池の本質を物理と化学の原理原則から考え続けた。例えば、大手電池メーカーはある化学メーカーが開発したセパレーターを仕様が違うと判断して採用しなかった。そこで、当時は電池メーカーとしては無名に等しいソニーにそのセパレーターが持ち込まれた。優れた性能を示し、ソニーの製品化に役立ったという。

 このように、小沢社長は本質を見抜き、研究開発の解を得ることに自信を持っているようだ。そして、高品質を維持する製造技術にも自信を持ち、事業化としての才覚も見せている。研究開発と事業の両面で優れた能力を持つプロジェクトマネジャーとしての才能が今後のエナックスの成長を決めるだろう。

 2008年9月に米国のリーマンショックで始まった金融不況は、日本の製造業を直撃し、多くの企業を未曽有(みぞう)の事業不振に陥らせた。多くの企業は事業内容をコアかノンコアかの見直しを進めるなどのリストラを断行し、2009年度の研究開発テーマや新事業テーマを凍結させたり中止させた。経営陣の判断に納得できない研究開発リーダーや新規事業担当のリーダーも少なくない。中には、会社をスピンアウトし、自分が手がけた研究開発テーマの事業化を図りたいと考えている者もいるだろう。企業からスピンアウトし、ベンチャー企業を創業した小沢氏が大活躍してることは、多くの人に起業する楽しさを伝えるだろう。