「またお前か!」

 鈴木が昼食から戻ると,机の上に電話メモが数枚置いてあった。昼食中に携帯の電源を切っていたからだろう。購買の田中と黒須化工からだった。田中の伝言メモを見ると「部品番号52A70は造れない」と書いてあった。

 鈴木はさっきの設変に何か問題があったのかと思い,あわてて田中に電話をかけた。
「またお前か!」
 鈴木が名乗る前に田中が言う。
「お前から送られてきたデジカメの緊急設変で黒須から連絡があったんだけど,成形できないぞ。お前もちょっとは成長したかと思ったけど,まだ一人前の図面描けないのか?」
「な,何がまずかったんですか?」鈴木が聞き返す。
「お前,現物を見たことあるのか? 設変で切り落とした所にゲートがあるんだよ。これだと樹脂の流れも変わるから金型新作だぞ。緊急手配しても最低1カ月はかかる。黒須の設計に事前に確認したのか?」
「…」
 鈴木は言葉が出なかった。

「取りあえずは量産試作用だろ。しょうがないから追加工で対応するぞ。仕上げ含めて100円は高くなるけどな」。
 鈴木は心の中で「やってしまった」と思った。
「田中さん,すみません。実は黒須のゲストエンジニアが夏休みで,確認とれなかったんです」。
「またゲストか。英語で言えば格好いいけど,自分がやらなきゃらないことやらせているだけじゃないかよ。それも金も払わねえで」。

 ゲストエンジニアに設計委託している費用を払っていない,というのは鈴木にとって初耳だった。設計派遣には,当然のことながら月間自分の給与以上を支払っているという話は聞いていたが。
「すみません。でもお金払ってないんですか?」
田中が言う。
「バカ野郎! 金の問題じゃないんだよ。お前の設計能力の問題だ。造れない図面なんか子供の下手な絵より始末悪い。『商品担当』とかお高く止まっていつまでもゲストに頼っているから設計できないんだ」。
「…」
鈴木は言葉が返せなかった。しかし,先輩の佐藤や他の先輩,同僚の顔を思い出し「この人たちの中で図面描ける人が何人いるかな,とも思った。

「田中さん,ゲストエンジニアの話とか設計のやり方とか,私にはよく分からないんですけど,今度教えてもらえませんか」。
「そ,そんなことよりこの部品どうするんだ,バカ野郎! 金型新作でいいのか? 追加で500万円はするぞ。干渉相手の方の部品は変えらんないのか? 取りあえず量産試作は追加工で対応するけどいいんだな」。
「えっ,ちょっと待ってください。もう一度検討します。500万もかかったら,また企画からメチャクチャ怒られます」。
「今日の夜9時まで待ってやる。黒須の安部からも電話入ってただろ。この件だから連絡しなくていい」。

田中が続ける。
「…ところでお前昼飯何時間食ってるんだ? 携帯の電源切ってるんじゃねぇよ」。

 鈴木は電話を切った後,先輩の佐藤に話し,他社からのゲストエンジニアにも相談に乗ってもらいながら,相手部品の形状変更で量産対応することにした。9時までにその検討結果を田中に伝え,その後徹夜で設変の手続きを行った。

「金払ってやれよ!」

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 数日後,鈴木は設計センター長と購買部の田中が言い合っている光景に出合った。
「金払ってやれよ! 手伝ってもらってるんだろ」。

「田中さん,こっちも予算カットで厳しいんだよ。基本的に発注先に設計を手伝ってもらっているんだから部品コストの中でどうにかしてくれないか。カスタムICとか基板だったらともかく,樹脂部品で承認図はできない方針なんだよ。前から対応してくれているじゃないか?」設計センター長が言う。
「その方針自体が問題なんじゃないかと言ってるんだ。そもそも無理な方針なんだから成り立つわけないよ。部品メーカーも発注が来るんなら何も文句言わないけど,昔と違って今じゃあ部品メーカーが描いた図面を海外メーカーに持っていって造らせる量が10倍だぞ。それで文句言うなっていう方がおかしいだろ」。
田中さんは誰に対しても同じ口調だな,と鈴木は思った。

 田中が続ける。
「じゃあ海外生産分はスクラッチで図面起こしてくれ,もしくはアクアプラスチックに設計させろよ。海外メーカーで部品図描いてくれる所なんてあると思ってるのか? 頼んだら1カ月後に,設計派遣に払ってる費用の10倍は請求されるぞ。それでもいいのか?」
「田中さん,そう言わずに何とか頼むよ。それが購買の仕事だろ」。
「そんなの購買の仕事じゃねえよ。らちあかねえ」。
田中はそう言い放ったまま,センター長の席を立ってフロアから出ようとした。

 鈴木は,田中の背中に声をかけた。
「田中さん,ちょっといいですか」。
「何だ,またお前か」。