ペコペコのドミノ倒し

 で、もし上層部がそうなら会社全体はどうなるか。そのヒントになる訓示を、OKI在籍時代に某先輩からさずかったことがある。ある部署に、いつもニコニコして、とても人のよさそうな管理職の方がおられた。で、「○○さんって、とても愛想がいい、優しそうな方ですね」とその先輩に話してみたのである。すると「いや、観察が足りない。相手が誰かによって愛想の質や量に差がないか、気をつけてきちんと見てみなさい」との宿題をもらった。で、よく観察してみたら、確かに相手によって態度が違う。部下に対しては普通に優しげ。ところが上の人には異常なほど愛想がよく、揉み手で、見ているこちらが恥ずかしくなるほどペコペコしている。いつもニコニコしている方なので「誰に対しても」と思い込んでいたのだが、実は相手によってかなりの落差があったのだ。

 そのことを報告すると先輩は満足げにうなずき、こんな法則を伝授してくれた。「上にペコペコしている人は、そうすれば人はよろこぶと信じ、部下たるもの上司をよろこばせるのが至上の使命と思い込んでいる人。そんな人は、下からペコペコしてもらわないととても不愉快になる人でもある。そのことをよく覚えておくように」。

 この法則が正しく、多くの証言にあるように経営トップの周辺がペコペコ系の人たちで埋め尽くされているとしたら、上層部はみなペコペコされないと不愉快になる系の人たちということになる。そうなれば、その周囲もペコペコ系ばかりになるだろう。つまり、頂点がそうであれば、上からドミノ倒しのようにペコペコピラミッドが形成されてしまうという理屈だ。もしそんな組織になってしまったら、フォロワーシップの要件である「公正な評価」など成立するわけもないだろう。

「辞めてよかったね」

 そのような状況があり、それにも増して「ものが言えない」という容易に拭いがたい雰囲気が職場を支配し、そのことが不振の主因になっているというのは、まあ一つの仮説である。けど、そうでなかったとしても、何かある。何らかの原因があるからこそ、かの会社が何十年ものあいだ停滞を続け、かつてのライバル会社にもライバルと認知もしてもらえない規模になってしまったのであろう。

 そして私は、過去を知る友人などに会うたびに「いいときに辞めたねぇ」と言われる。「今でもいたら大変なことになっていたんじゃないの」と。

 好意で言ってくれているのであろう。けど、言われた当人の心境は、かなり複雑だ。母校の没落はおよそ悲しいものであって、間違ってもうれしいものではない。むしろ「いやぁ残念だったねぇ、もう少し頑張ってたらいい目に遭えたのに」と言われるくらいの状況であったらと考えてみたりもする。もちろん本当にそんなことになっていたら、本気で落ち込んでいると思うけど。