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現在作られている理容鋏。価格2万2000円(銀座菊秀、撮影:本社映像部)
現在作られている理容鋏。価格2万2000円(銀座菊秀、撮影:本社映像部)

 現代の鋏は、ほとんどがX字型の全鋼製で、機械を駆使して大量生産されたものだ。世界で見ればドイツのゾーリンゲンなどが主な産地だが、岐阜県関市を始めとした各産地で作られる日本の鋏は、その高い精度で頭ひとつ抜けた存在となっている。刀鍛冶たちが作り始めた理美容鋏もその一つ。歴史を重ねながら進化を続け、今や圧倒的に滑らかなアクションを持つハイエンドモデルが世界中の美容師たちに愛用されている。製法も進化した。手作業でなければ出せないとされていた精妙な裏すきとねじれをNCマシンで再現したデスク鋏が作り出され、その手間を考えればお買い得と言える値段で店頭に並んでいる。

 こうした状況にあって、石塚昭一郎は名門長太郎(ちょうたろう)の三代目として、明治生まれの羅紗切り鋏(らしゃきりばさみ)を手仕事で作り続ける。伝統技術を色濃く残し1本ずつ手作りされた品物だが、洋裁の鋏として、これこそが最良の切れ味と使い勝手の良さを持っている存在だ。

「うちはもともと刀の研ぎ師だったんです。それが明治の廃刀令で仕事が激減してしまった。曾祖父にあたる石塚正五郎の時代のことです。まあ、幕末の頃から刀もそれほど必要とはされなくなっていたので、それなりに手を打ち始めていたようなんですね。だから、家族を路頭に迷わせるようなことにはならなかったようですが」

日本の羅紗切り鋏の元祖、弥吉(やきち)の鋏。(うぶけや所蔵品、撮影:三原久明)
日本の羅紗切り鋏の元祖、弥吉(やきち)の鋏。(うぶけや所蔵品、撮影:三原久明)

 石塚が、まず長太郎の歴史を語り始める。

 もともと刀鍛冶だった羅紗切り鋏の始祖、弥吉(やきち)と、研ぎ師だった石塚の曾祖父は仲が良かった。そこで曾祖父は弥吉に頼み、息子の石塚長太郎をある店に奉公に出してもらうことにした。家業を継がせることを断念したのである。長太郎を預かった弥吉は、奉公に出す前に、少し自分のところで働かせてみた。礼儀作法を一通り教えてから奉公に出そうと思ったのか、羅紗切り鋏鍛冶の仕事が忙しくて猫の手も借りたかったのか。とにもかくにも弥吉は、長太郎の働きぶりを見てすっかり気に入ってしまった。それで、とうとう奉公には出さず、自分に弟子入りさせてしまったのだという。

「弥吉さんには、お弟子さんがたくさんいたんですね。筆頭が兼吉(かねきち)さんで、あと4、5人。うちのお祖父さんは末弟子だったんです。兼吉さんとは師弟くらいの年の差があったとか」