「わかった,俺に任せろ!」

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 鈴木は設計フロアに戻ったあと,先ほどコピーで田中からもらった在家からのサプライヤー提案書の原本がどこにあるのかを先輩の佐藤に確認した。佐藤はそれに対して,課長の机の上の書類の山を指さした。
 「あの書類の山の中の中だよ。3カ月前に提出されたものがまだ未処理で残っている。でも,我々もタイムリーに処理しろと言われてもなかなかできないしね」
 「でも宝の山じゃないんですか?」
 「まあ,そうかもな。ただ,サプライヤーも本当に重要な提案は直接言ってくるし,粗製乱造みたいなところもあるからお互い様だよ」
 「そういうものですか」

 鈴木は在家の営業担当者とも数回打合せをしたことがあったが,そう言えば最近は忙しくてほとんど話をしていないことを思い出しながら,在家の営業担当者の番号に電話した。
「もしもし,霜月電機の鈴木ですが,…お世話になっています。あの新機種の躯体で御社から提案書をもらっていると思いますが,サンプルを作ってもらうことは可能ですか? …はい,…はい…よろしくお願いします」

 数日後,在家工業から塗装レス品のサンプルを入手した鈴木は塗装品と塗装レス品を並べて見ていた。鈴木にはその二つの部品の違いがよく分からなかった。室内だけではその違いが分からないのかとも思い,外に持ち出し先輩の佐藤も連れだって見比べた。
「やっぱり問題ないと思いますが,どうですかね? 多少色合いが違うと言えば違いますが」。
 佐藤がこう答えた。「これで350円コストが下がるなら,塗装レスでいきたいな。品質管理とマーケティングには確認をとっておけよ」

 鈴木はサンプルを持って品質管理部とマーケ部門の担当にそれを見せに行く。しかし彼らの反応は冷やかだった。
 品質管理部の担当の反応はこうだった。「いや,我々はどっちでもいいんだけど。消費者がどう感じるかなんだよね。質感がなくって売れないとかマーケ・営業に言われても我々では責任とれないからね。コスト? コストも大切だけど,やっぱりお客さんが第一だから。マーケがいいって言ったらうちはOKだよ」
 そのマーケの担当者こう反応した。「私はデザイナー出身だからね。売れるものを世の中に出すのが役割だから。やっぱり質感全然違うでしょ。えっ,見て分からないの? それでなくても販売店からはいつもうちの製品は質感がないって言われているんだから。コストも大切だけど,たった300円でしょ。どこか違うところで削減してよ」

 鈴木は困り果てた。ワラにもすがる思いで購買の田中に連絡してみると,田中は珍しく手短に「そっちに行く」とだけ言って電話を切り,すぐ設計のフロアに現れた。
 「田中さん,どうすればいいでしょうか?マーケがOKすればこれで行けるのですけど」
 「…」田中は黙ってサンプル品を見ていた。
 「これ,私の初めての新製品の仕事なんです。どうすればいいんでしょうか? どうすればマーケを説得できると思いますか?」

 田中は顔を上げると,こうつぶやいた。
 「よし,分かった。俺に任せろ。サンプルは預かっていくぞ」
 田中はそそくさと設計のフロアを出て行った。

 数日後,品質管理部から設計変更依頼書が発行され,鈴木宛てにメールが送られてきた。設計変更依頼書とは,品質不具合があった場合などに,品質管理部が設計に対して改良指示をする書類である。鈴木は添付ファイルを開いた。そこには「設計変更不要,新製品の躯体塗装レスOK」という内容が書いてあった。

 鈴木は早速田中に電話した。
 「田中さん,どうやったんですか? 例の塗装レスの件…」
 「当たり前のことをしただけだ。この前言っただろ。最適コストの実現は俺の仕事だ」。
田中はそう言うと,電話を切った。