承前

ARM社の誕生

写真5 オリベッティ研究所のあった建物。
AT&Tがこれを買い取ってケンブリッジ研究所とするも、2002年に閉鎖された。閉鎖の際、Guardian紙は「ケンブリッジで最も生産性が高くイノベーティブな研究所の1つが、企業のコスト抑制の犠牲者として閉鎖される」と報道した。現在は、ケンブリッジ大学の障害者センターとして使用されている。
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 実はARM1をリリースした1985年、エイコーン社はオリベッティ社(Olivetti)の子会社となっている。それと同時に、ハウザーはオリベッティ研究所(Olivetti Research, 写真5)の副社長に就任。ホッパーを研究所長に据える。

 しかし1988年にハウザーはオリベッティを去り、自己資金100万ポンドを使ってABC社(Active Book Company)社を立ち上げ、手のひらに乗せて使うコンピュータ(のちのPDA, Personal Digital Assistant)の開発を始めた。この手のひら大のコンピュータは、搭載するマイクロプロセサの低消費電力性が成功の要となる。

 そこでハウザーの助言に従って、エイコーン社のARM設計チームは、クロックの停止中にチップが電力を消費しないように再設計しなおした。こうして市場がまったく見えないまま、低消費電力に特化した32ビットRISCチップという、一見「ちぐはぐ」な注1)マイクロプロセサが誕生した。

注1)16ビットから32ビットへの移行は、演算の高速化とそれに付随する高機能化という評価軸を意識している。ところが、低消費電力化(クロックの停止中にスタティック動作するような設計)はその評価軸に則っていない。

 ちょうど同じころ、ハウザーは、オリベッティ社による融通の利かない経営下にあるエイコーン社からARMチップ部門だけをスピンオフさせ、新しいベンチャー会社を創ることを企図していた。そこで、当時モトローラ社に勤めていたロビン・サクスビー(Robin Saxby)にCEO就任を依頼する。

 ビジネスが成功していない現状をよく知っていたサクスビーは、この依頼に苦慮する。そのころ、アップル社が手のひら大のコンピュータを開発しており、そのマイクロプロセサとして低消費電力型のARMチップに興味を示していた。しかし現状では、エイコーン社はオリベッティ社の傘下にあって、アップルの新製品に対抗する製品を出してくるかも知れず、アップル社はそれを警戒している。だが、ARMチップ部門だけ別会社になれば、その警戒は解ける。

 そこで彼はアップル社にも資本参加を持ちかけた上で、ARMチップの将来性に賭けてみようとチャレンジを決意。1990年11月に彼のリーダーシップのもと、ARM社(Advanced RISC Machines)が、エイコーン社、アップル社、VLSI社のジョイント・ベンチャーとして設立された注2)。エンジニア総数12名による船出だった。

注2)それ以後、ARMチップのAもまたAcornからAdvancedに改名された。