それでも状況は変わらない。家族からは疎まれ、世間からは変人扱いされ、ついに彼は自殺を決心した。ロープを持って山に分け入る。そこで出会ったのが、1本のリンゴの木だった。こんなところに、と思い近寄ってよく見ると、それはリンゴではなくドングリの木。誰も肥料や農薬など撒かないのに、とても元気だ。ふと土のにおいが鼻をつく。すくってみると、畑のものとぜんぜん違う。周囲の草を抜こうとしても根が張り抜けない。畑の草はすっと抜けてしまう。そこで気付く。今まで土の上のことしか見ていなかったが、大事なのは土の中なのだと。

 そこから土作りが始まる。山と同じように、ほかの植物をいっしょに植えればいいのではないか。6年目に大豆をばら撒いた。その年から落葉は減っていき、8年目には1本だけが花をつけ、その翌年には畑一面にりんごの白い花が咲き乱れた・・・。

薬なしでは生きられない

 確かに、無肥料無農薬でリンゴを実らせるというのは相当に難しいことのようだ。以前、その筋の専門家の方に聞いたことがある。さる農業試験場でリンゴの木を多数植えて放置してみたところ、害虫などに食い尽くされ、あるいは病気にかかり、すべての木がボロボロになって最終的にはすべて枯れてしまったのだという。

 もちろん、昔はあったであろう野生のリンゴは、無肥料無農薬でもスクスクと育っていたはずだ。日本でも平安~鎌倉期の文献にはリンゴ(林檎)が登場するそうだが、その子孫である「和林檎」は、あまりおいしくはないらしい。現在日本で栽培されているリンゴは欧州→アメリカと伝えられ、甘くおいしくするために改良を加えられた品種である。でも、私が子供のころにあったリンゴといえば紅玉、国光、それにインドリンゴくらいで、前者の二つはとてもすっぱく、後者は甘いけど何だかジューシーさに欠けるものであった。

 何でも日本人の果物の嗜好は、糖度が高くて果汁が多いことなのだという。そのニーズに応えるべく品種改良はさらに進み、ちょっと調べてみたらえらい種類のリンゴが現に栽培されているようだ。こうした改良の主眼はおいしくすることであり、木を頑強にすることにはない。この結果として、改良に改良を重ねられたリンゴはそもそも、害虫や病気に弱く、高い収量を上げるためには多くの肥料を必要とするようになったというのが、専門家の話である。

 こうしてリンゴは、「おいしいけれど農薬や肥料は必須」という姿になり果ててしまった。木村氏は、それを「想定外」の無肥料無農薬で育てようとしたわけだ。周囲が「不可能」と止めたのもわかるが、それを振り切り、やり遂げるプロセスは、教訓に富む実に感動的なドラマだ。写真をみると、木村氏は今の時代には珍しい、本当に「いい顔」をされている。きっと、素晴らしい方なのだと思う。