前フリが長くなりましたが、今回のコラムでは、道具が提供できる機能の話を越えて、もっと大事な道具自身の価値の話をしましょう。それは「愛着」の話です。

 道具に愛着を感じるということは、機能提供とは別次元の価値の話になります。愛着には時間で目減りしにくい、いや逆に時間とともにむしろ価値が増すという嬉しい性質があります。この愛着の構造を考えるには、「魅力的なヒトって何?」「かけがえのないヒトってどういう人?」と、相手を人間で考えを巡らせるとヒントを見つけやすいでしょう。いっぱいあるのですが紙面の都合上、ここでは二つの事例を取り上げてみます。

(1)馴染む愛着:夫婦愛

 良い万年筆には使うほどに書きやすくなるメカニズムが潜んでいます。ペン先のエッジが書き続けるうちに丸まってきて馴染んできますね。それも書き手のペンの持ち方、角度や筆圧に応じてオレ様仕様に角が取れてきます。野球のグローブも同様です。手の形に応じて変形し、だんだんしっくりくるようになります。表面もオイルで磨きこむと、汚れと混じり合いつつ黒光りするようになってきて風格が備わってくるものです。昔の素材、木材や皮革、金属にはこのようにオレの使い方に応じてオレ風に馴染む愛着力がありました。素材だけでなく、開閉ヒンジなどの噛み合せ構造体も、キツキツの初期状態から少し緩んでいい感じになったりします。

 昔のカメラレンズを思い出してみましょう。つや消しの黒い塗装がされていましたが、擦ったりぶつけたりするうちにエッジ部から塗装がはげて下地の金属が見え隠れするようになりました。劣化というよりはむしろ味が出る方向の変化です。ところどころ凹んだり剥げたりしてる方が「愛機感」が増します。これがプラスチック成型品では艶が落ちるだけでショボ臭くなる一方です。そこで苦し紛れに考えてみました。プラスチックに金属メッキをした上で塗装をするという超贅沢なカメラの皮膚を想像して下さい。使い込むとようやく出てくる下地の金属光沢。真鍮っぽく黄味がかったものや、赤味を帯びた赤銅光沢など色々ありです。高級感を狙う時に、全面金メッキというのは成金チックの下策でしょう。十二単のように隠す贅沢こそが日本の雅なのです。