かつてのMicrosoftは、OSやWordなどしか手掛けていなかった当時でも、周囲から十分に怖れられる存在だった。だからこそ「自己規制と利他的行為」ということを真剣に考えなければならなかったのだろう。逆にそのとき調子に乗って、「OSの高いシェアを利用しパソコン本体にも手を出します。半導体も買収して内製化するかもしれません。インターネット時代になれば関連サービスはもちろん、コンテンツまで手掛ける予定です」などと言い出していれば、何十倍何百倍の悪感情がこの会社に向けられたことだろう。

 人が誰かに支配されることを嫌うのと同様に、人の集合体である組織も支配されることを拒絶しようとする。だから、覇者たらんと欲してもそれが察知されれば、絶対的な支配者が現れることを阻止しようとする周囲に拒まれ、大いに足を引っ張られる。京都の人たちは、そのことを歴史の中から学んだのだと思う。だから、決して前に出ようとしない。むやみに手を広げ他人の領域を侵すこともない。それでいて、目立たないようしぶとく着実に成長したりして、ちゃーんとうまくやっている。

京都人の後姿

 そんな京都人の知恵を凝縮したような方がおられた。京都で墨蹟(禅僧による書)を商われていた貴道昴さんである。奥様は、京都でも頭抜けた人気を誇る道具屋さんを営まれる有名人で、婦人雑誌にもよく登場されていた。けれども、雑誌に大きく取り上げられるたびに彼は小言を言っていたらしい。「道具屋があんなところに出ていったらいかんのや」と。彼自身、卓越したセンスと見識で多くの文化人、芸術家たちの愛顧を受けた「知る人ぞ知る人物」であった。しかし、墨蹟という極めて専門的かつ地味な商材にこだわり、店員も雇わず、弟子もとらず、雑誌やテレビの取材も展示会への出店も断り、ただ一人で、生涯をかけその商売に没頭された。

 その貴道さんが、残念なことに昨年亡くなられた。その前年、東洋美術研究家であるアレックス・カー氏の取材と撮影のために、貴道さんの店舗を使わせていただいたことがあった。対談ではないけれど、二人が墨蹟をはさんでその作品、作家について語り合っている様子を写真にしようと思ったのである。

 その貴道さんが亡くなったとうかがい、とっさに思ったのはその写真のことだった。取材の際は「助演」的な役回りだったけど、かなりの時間を使っていろいろなシーンを撮影させていただいたので、「遺影」ともいうべき写真が何枚もあるだろうと想像したのである。それを焼き増して遺族の方に差し上げたら、さぞや喜んでいただけるだろうと。ところが、フィルムを確認してみると、差し上げられるような写真は1枚もない。もちろん、いろいろな写真にちらりと写ってはいる。けど、どれもみな後姿なのである。

 実に見事な方だったと、今さらながらに思う。