タケノコ屋さんがある街

 個人的な観察結果によれば、京都は先鋭的な専業の巣窟である。例えば寺町あたりでは、今でも定規屋さんを発見することができる。昔おばあちゃんが和裁で使っていた竹の定規とかを専門に扱っているのである。縄手通りには、ちり紙をひたすら売っている店がある。今はもう見ることが少なくなった二つ折になったちり紙とかが、さまざまなグレードを揃えて並べられているのだ。これまた懐かしい四角いトイレ用の紙も束にして置いてある。よくこれでやっていけることだと感心しながら歩いていると、京極あたりの商店街でタケノコ屋さんを見つけた。店頭にあるのはタケノコだけ。しかも、けっこう店はデカい。地元の友人に聞いてみたところ、「自分がものごころついたころから、そこにあったような気がする」という。でも、タケノコ専科で店の人は暮らしていけるのだろうか。その疑問を友人にぶつけると、「秋は松茸専門店になるから大丈夫」なのだとか。

 このようなえらく専門性が高い、細分化された業種が今も、見る限り健全に営まれている。飲食店もそう。水炊き屋さんは水炊きだけ。座れば何も聞かれず水炊きが出てくる。小売店もそう。豆腐や麩などが専業なのは驚かないけれど、三木鶏卵などという卵焼きだけを専門に調理、販売している店まである。

 東京でも、かつてはそんな風景があった。私が住む荻窪には、80年代初頭まで小さな商店が寄り添う「駅前マーケット」があり、そこには京都並みに先鋭的な専門店がいくつもあった。魚介類でいえば、貝屋さん、干物屋さん、海苔と昆布だけを扱う乾物屋さん、タラコと塩鮭の専門店などなど。けれどもそんな店舗は、大規模な総合鮮魚店や隣接する量販店の食料品フロアに顧客を奪われどんどん減っていった。それでも荻窪のような古い住宅街はまだ生存率が高い方で、新興住宅地などでは「量販店が駅前にどーんと建ち、最初から専門店はほとんどない」ということもあるようだ。

 構図としては、こういうことだろう。発祥は専門店だったかもしれないが、有能な経営者が商売を拡大して総合店となり、さらには産地から直接買い付け、PB(プライベートブランド)で製造にまで口を出し、量とバリエーションと価格でシェアを拡大していく。シェアを奪われるのは、もちろん古くから地元にあった専門店である。

 でも京都では、そうはなっていないのである。そこが面白い。おそらく、理由は二つある。一つは顧客の支持、もう一つは事業者の意思である。