時代の漆椀いろいろ。写真は、平安末期に栄華を誇った奥州藤原氏のもとで作り始められたと伝えられる、秀衝椀と呼ばれる様式のもの。

 今日の食卓では、ご飯や惣菜類は陶磁器に盛られることが多くなったが、いまだに味噌汁などの汁ものは、黒や朱などの、昔ながらの汁椀でいただくのが一般的だ。だから、老舗の料亭では江戸時代に作られた漆椀が現役で活躍しているだろうし、町の定食屋さんにも、多くの家庭にも汁椀はある。ただ一見、漆椀にみえる汁椀も、その中身は千差万別だ。

 伝統的な漆椀は、木地の椀に下地を施し、その上に漆を塗ったものである。廉価な漆椀なら、工程数を減らすため下地を簡略にしている。その上の塗りも、一部あるいは全部に漆風の合成塗料を使ったものもある。そもそも木地ではなく、木粉にフェノール樹脂などを混ぜ椀形に成型加工したものも広く使われるようになった。木をまったく使わず、ポリプロピレンなどの樹脂でできた椀にウレタン塗装を施したものも、食器洗浄機や電子レンジに対応した廉価な椀として数多く作られるようになっている。もはやここまでくれば、汁椀であっても漆椀ではない。

「でもね、椀の中身がどうなっているかなんて割ってみないと分からないし、その使い心地はどうか、さらにはそれを使い込んでいったときにどのような表情になるかなんて一般の消費者には分かりませんよ。だから結局は、樹脂などを使った安いものが市場で幅を利かせるようになり、伝統的な漆椀はどんどん端に追いやられてしまう。ぱっと目には樹脂製のものでも立派な漆椀に見えたりしますからね」

 そう本間幸夫はこぼす。彼は気鋭の漆芸作家であり、現在は東京・荻窪と茨城・奥久慈を拠点にした漆芸工房「荻房」の主宰者でもある。「本物」の漆椀は、その工房で製作される。樹脂製の汁椀が市場で隆盛を極める傍らで、二十年も前から製法を進化させながらもほぼ同じ形で作り続けられてきた。現在は彼の子息たちも工房を手伝っているのだが、「それでも注文をこなし切れなくてお客さんには謝ってばかり」という状態なのだという。

「どう時代が変わろうとも、本物を見抜き、支持してくれる方はしっかりいらっしゃる。そのことだけが、私たちの支えなのです」

 それでもやはり、昔とは違う。漆器と縁遠くなってきたからか、「漆は漆の木から採れるもの」ということすら知らない人たちが増えてきた。 「この前もある美術ギャラリーの若い女性にその話をしたら随分驚かれましてね。『え、そうだったんですか』というわけです。そのギャラリーは漆の工芸品もずいぶん扱っているんですよ。そこの従業員ですらそんな状況ですから」


堆朱の重箱。堆朱は、厚く塗り重ねた朱漆の層に彫刻を施した漆器。中国から伝わった技法だが、日本でもこの技法を使った作品が多く作られている。

 そう言って本間は笑う。だが、その穏やかな表情の裏には複雑な思いが渦巻いているに違いない。それだけ、漆というものにこだわり続けてきたのだから。こだわって、こだわって、こだわり抜いた挙句に漆の精製にまで手を染め、ついには漆の木を自ら栽培するに至った。漆芸界の常識からすれば、それは暴挙に近いことである。

 漆器などの漆工芸品の製作体制は通常、分業になっている。工程ごとに専門の職人がおり、専門の工房が存在するのだ。漆椀を例にすれば、まず漆は農家などの手によって育てられた漆の木から「漆掻き」と呼ばれる職人が樹液を採取し、その樹液を精漆業者が精製して漆桶やチューブに詰める。一方、木地は木地師によって作られる。椀であれば挽物師によって木材から削られ、箱形のものであれば、指物師によって板から組み立てられる。そこに塗師によってはじめて漆が塗られるのである。産地によっては、これらの工程がもっと分業化されていることもある。

 そこに装飾を加える場合は、さらに別の専門家に託すことになる。金粉銀粉によって文様を表したいときは蒔絵師、漆器に文様を彫り込みたい場合は沈金師、貝を埋め込んだ装飾を施したい場合は青貝師に回される。もちろん、その複数を同じ漆器に施す場合もある。多くの漆器産地では、これら木地の作製、塗り、加飾を担当する専門の職人や工房が同じ地域に集まっており、近所を転々とするうちに製品が完成するシステムが確立している。