Flash版はこちらから:Flash Playerが必要です


鋼を打刃物に適した組織に変える

 左久作(ひだりひささく)が行ってきたここまでの工程のほとんどは、鑿(のみ)の形を作るためのものだった。しかし、その中でも、鍛冶は常に鋼の組織を刃物に適したものにするため、細やかな気を配っている。

 中でも鍛接(たんせつ)から火造(ひづく)りという火を使う工程は、鋼の組織を決定づける上で極めて大切な工程だ。よく切れて、折れたり曲がったりしない。しかも組織は均一でむらがない。片方を立てれば片方が立たないという、矛盾する要素を並び立たせてほしい。それが使い手たちからの無言の要望だ。すべてを最高のレベルで並立させることは不可能だろう。しかし、少しでも高いレベルで結実させた打刃物(うちはもの)を作るべく、鍛冶屋は、炎や鋼の色を見て、鋼を加工してゆく。

 そして、焼入れ、焼戻しに至って刃物としての組織を最終的に決定づける。

 鋼を加熱して、オーステナイト組織の状態にした後、水中などで急冷すると、マルテンサイト組織という硬い組織に変わる。このままだともろすぎるため、もう一度低めに加熱してから、ゆっくり冷まして靭性を出す。硬さと粘りという、相反する要素を兼ね備えた、刃物に向いた組織にする作業が焼入れ、焼戻しだ。鋼の組織を激変させ、打刃物としての命を吹き込むのである。

秘伝に包まれた焼入れ作業

 左久作では、焼入れ、焼戻しの工程は、太陽が落ちた夕方以降に行う。高温になった鋼の色、つまり温度を常に一定の状態で正確に知りたいからだ。念を入れて、暗幕も張り巡らせる。鍛接(たんせつ)や火造(ひづく)りといった工程でも鋼の色を正確に見ることは不可欠の要素だが、その時より明らかに上の階層の細かい気配りが必要な工程だ。

 そして、他工程と違って原則的に非公開である。

他の鍛冶でも、見せないところは多い。刃物の良し悪しを決定づけるポイントとなる工程なので、気が散る要素をできるだけ減らしたいなどといった理由によるものだ。しかし、昔の鍛治たちにとっては、刃物作りの急所に関する、それぞれの「秘伝」をおいそれと他者に知らせたくない、という思いも大きかったようで、さまざまな伝説が残されている。