Marc Andreessen氏は,このブラウザー技術を元に,米Netscape Communications社を設立した。ブラウザーの名称も「Netscape Navigator」と改め,改良を重ねた。当初は,インターネットへの対応に腰が重かったMicrosoft社も,その重要性に気付き,会社の方針を大きく転換し,「打倒Netscape」との旗印を掲げた。Microsoft社による大攻勢を受けたNetscape社は,最終的には敗者となる。ただ,両者の激しい競争によって,インターネットの技術革新が加速したのは確かである。

渇望感がブロードバンド化加速

 米国の施策もインターネットの普及を後押しした。インターネット技術がはぐくまれていた1993年に,米クリントン政権は「NII(National Information Infrastructure)構想」を打ち出した。この中で,誰もが安価に利用できるネットワークを広く敷設することの重要性を説いている。この発想は,クリントン大統領の腹心だったゴア副大統領の「情報スーパーハイウエー構想」に基づくものだ。ゴア副大統領の父親は,米国の高速道路敷設を推進したことで知られる。その息子が提唱した情報の高速道路を広く敷く計画を,産業界は強く支持した。情報ネットワークの成長を軸に国力を強化することで,米国産業界の考え方は一致した。1990年代半ばには,フロリダ州などで,映像をネットワーク経由で家庭に配信する「ビデオ・オン・デマンド」の大規模な実験を手掛けるなど,未来の社会の在り方を模索する動きが始まった。

 インターネットの台頭と政府施策を追い風に,ブロードバンド技術の開発に拍車が掛かった。インターネット上のコンテンツは,テキスト情報にとどまらず,画像・音楽と次第に多彩になった。表現力の豊かなインターネットの面白さを知った一般消費者が,遅い電話回線のままで満足するはずがない。高速な通信技術を渇望する声に応えて,まずは既存のアナログ電話網がモデム技術の進化により高速化した。ところがその技術進歩は,一般消費者を満足させるのには不十分だった。ケーブル・モデムあるいはADSLなど,新しい通信インフラの開発が急速に進んだのである。

 米国のトレンドは世界に飛び火した。いや,むしろブロードバンド化への足取りは,米国よりも日本・韓国などアジアの方が早かった。日本では,当初からNTT(当時は日本電信電話公社)がFTTH(fiber to the home)構想を抱いていた。全国の家庭を光ファイバで結ぼうというものである。ただ,当時のNTTに具体的な用途を想定できていたかといえば,必ずしもそうではなかった。そこにインターネットというキラー・アプリケーションが登場したことで,NTTの計画も絵に描いたもちではなくなった。最近では,「2010年までに3000万世帯」という野心的な計画を打ち出しているが,この立ち上がりのきっかけとなったのはインターネットにほかならない。