1988年,TRONプロジェクトの推進母体としてトロン協会が発足した。

 1984年にTRONプロジェクトが始まってから22年が過ぎた。これだけの時が過ぎると世の中の評価が落ち着きそうなものだが,現在でもTRONに対しては賞賛から批判までさまざまな見方がある。なぜ,長い年月を経てもここまで評価が分かれるのか。1980年代後半の5年間,坂村健氏の近くで取材をしていた記者の一人として思うところを書いてみたい。

 結論から言うと,我が国のエレクトロニクス産業においてTRONプロジェクトが果たした役割はとてつもなく大きい。とりわけ,ITRONから始まった組み込み分野での貢献は特筆に値する。TRONを抜きにして携帯電話機などの組み込み型の国内電子産業がここまで発展したか否かについては見方が分かれるだろうが,そうした議論に意味はない。別のものがその役割を果たし得たかもしれないということを言い出せば,米Microsoft社のWindowsにしても同じである。

多様な企業がTRONを支持した

 トロン協会のWWWサイトを見ると,現在の活動の中心はリアルタイムOSや情報家電,ユビキタス・ネットワークであると紹介されている。これは「The Real-time Operating system Nucleus」がTRONの由来であることを考えれば当然だろう。しかし過去を振り返ってみると,TRONプロジェクトにはもっと大きな計画があった。一部は形になったものの普及には至らなかった。また一部は構想のみで形にさえならなかった。

 例えばTRONチップ。国内半導体メーカー6社が,TRON仕様に基づく9種類のマイクロプロセサを1990年ごろに開発した。莫大な投資が必要なマイクロプロセサの開発に,各社が取り組んだのはなぜか。背景には米Intel社や米Motorola社によるセカンド・ソース・ライセンス拒否や,Intel社とNECの間で起きた著作権紛争など,マイクロプロセサを巡る1980年代半ばの出来事がある。当時の日本メーカーは優れた半導体技術を持ちながら,著作権の壁に阻まれてマイクロプロセサ事業への道を閉ざされていた。自分たちのマイクロプロセサ・アーキテクチャさえあれば,米国メーカーを凌駕できるという思いが国内メーカーには強かった。

図1 1988年に公開されたBTRONパソコンの試作機 本誌1988年1月25日号から。
図1 1988年に公開されたBTRONパソコンの試作機 本誌1988年1月25日号から。 (画像のクリックで拡大)

 結果的にTRONチップはコンピュータ市場で普及しなかった。理由はいろいろあるが,アプリケーションとそれを動かすOSがないことが致命的だった。圧倒的な市場を握ったIntelアーキテクチャ以外にも,米Sun Microsystems社の「SPARC」や,米IBM社と米Motorola社の「PowerPC」などそれなりに成功したコンピュータ用マイクロプロセサはある。「Solaris」や「MacOS」といったOS環境が整っていたことが理由である。TRONでその役割を担うはずだったのはBTRONなのだろうが,あまりにも力不足だった(図1)。