1981年,日本電信電話公社は光ファイバ伝送方式の商用を開始した。

 光ファイバ通信への関心が本格的に高まったのは1970年である。この年に伝送損失が20dB/kmの光ファイバを米Corning社が発表した1)。同じ年,米Bell Laboratoriesが室温で連続発振する半導体レーザを開発する2)

 もちろん先駆的業績はある3~5)。しかし光ファイバ通信の開発が一気に加熱したのは1970年からだ。

 1970年ごろはマイクロプロセサやDRAMが世に出た時期でもある。これらの集積回路はSi(ケイ素)でできている。光ファイバの主材料はSiO2(二酸化ケイ素)だ。「情報を処理する集積回路と情報を伝送する光ファイバ,この両者がケイ素を主成分としている。そして両者ともこれから世にはびこるだろう」。そう考えて私は硅石器時代(silico-lithic age)という言葉を造った。そして1970年を硅石器時代元年とした6~7)。『日経エレクトロニクス』の創刊はその翌年である。『日経エレクトロニクス』の成長と硅石器時代の発展は同期していた。

 驚異的なのは1970年以後である。1970年代のわずか10年間に,光ファイバ通信は,基礎研究段階から実用化段階にまで達してしまった6)。例えば1970年代の10年間に,光ファイバの伝送損失は20dB/kmから0.2dB/kmにまで低下する(図1)。無中継伝送距離と情報伝送速度の積は,10年で1000倍のペースでの進歩が続いた6)。この10年1000倍(毎年2倍)という進歩速度は,メモリの総ビット数需要の伸びにも見られる6)

図1 光ファイバの伝送損失低下の歩み 1970年の20dB/kmから,10年後には0.2dB/kmにまで低下した。
図1 光ファイバの伝送損失低下の歩み 1970年の20dB/kmから,10年後には0.2dB/kmにまで低下した。 (画像のクリックで拡大)

 実は1970年の時点では,ミリ波導波管方式の方が先行していた。この方式は直径50mmの円形導波管を伝送媒体に用いる。1970年ごろには,各国の通信機関とも,実用化試験の目前だった。ところが1970年代に入ると,ミリ波方式は急速に影が薄れ,1975年ごろには事実上消滅する。光ファイバ方式の急速な立ち上がりが,その主たる理由である。

80年代に基幹網,今や家庭に

 1980年代には各国で公衆通信網の基幹回線への普及が進んだ。日本では1985年に日本縦貫光ファイバ・ケーブル伝送路が完成している。ちなみにこの1985年は,通信の自由化と民営化の年(NTT発足の年)でもある。