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当代永楽善五郎作「黒地青楓茶碗」

当代永楽善五郎作「掛分柳橋水指」

 現在、永樂家の工房にはガス窯と電気窯があり、二つを作るものによって使い分けている。しかし、昭和44(1969)年に大気汚染防止法が施行され、京都市内から木材を燃料とする伝統的な窯の操業が不可能になるまでは、小規模な焚き窯もあったという。

 「京都には、戦後すぐの頃で70~80くらいの窯があったといいますね。それが、公害のもとやというので火が使えなくなったのは、僕が30になるかならずの頃。それまでは家の窯と、ほかに五条に共同窯というのもあって、ここから五条までリヤカーに乗せて運んで行って焼いたもんです」

当代永楽善五郎作「掛分梅ノ絵茶碗」

当代永楽善五郎作「金砂子桔梗茶碗」

当代永楽善五郎作「掛分紅葉茶碗」

 当時は、特に気圧が低いと煤煙が地面をザーッと這っていき、周りの家の箪笥の中にまで入っていってしまうほどだったらしい。焚き窯の廃止はそうした被害が問題になって決定されたものだった。ただ、焚き窯では熟達した職人をもってしても炎を完全にコントロールすることはかなわない。どうしても、焼きムラや失敗品が多く出てしまう。これに対して、ガス窯や電気窯では酸素の量や温度をコントロールしやすい。さまざまな種類の作品を手がけ、写し物も多い永樂焼の場合は、土や釉薬、絵具をねらい通り焼き上げやすいという意味で、ガスと電気を上手に使い分けるという現在の方法の方が適しているのかもしれない。

 色絵の技法では、素焼きをした後、釉薬をかけて1200度以上の高温で本焼きを行なう。この結果、粘土は焼き締まり、釉薬は溶けてガラス質皮膜の釉となって器を艶やかに覆う。その後、器の表面に模様や図柄を描く工程に入る。器表面にまず下絵を描き、色絵用の絵具を使って上絵付けをし、800度といった低温で焼き付ける。多くの絵具は、発色に関与する金属の化合物を釉薬の成分に混ぜたもの。それを絵具として部分的に使う場合もあるが、全体に施して釉薬として使うこともある。