磁器と陶器は、ともに茶道具や懐石道具で愛用されてきた。写真上は幕末の名工、十一代永樂保全作の古染付写扇面鉢。明末期に中国で作られた古染付の作風をうまく再現している。下左は保全作の唐津写小皿で北大路魯山人の収蔵品。桃山期に唐津で雑器として焼かれた皿(右)の雰囲気をよく写している。皿表面に「河濱支流」の印を捺し、この印影も模様の一部としている。

近世の天才陶工、北大路魯山人作の備前風平向付。器表面にくし目でススキを彫り、さらに太い刷毛で3筋、銀彩を施している。魯山人は、当初は磁器に絵や字を描いた作品を多く手掛けたが、晩年はいわゆる「土もの」に傾倒し、備前焼などの名品を多く残した。

 極めて重要な輸出品となった伊万里焼は、その製法を固く秘匿することで特産品としての地位を長く保つことになる。その機密保持法の一つとされるのが、分業化だった。ある工房は器の成形、ある工房は焼成、ある工房は絵付けだけを担当する。こうして工程別に細かく分業することで、その全貌が他の地域に知られることを防いだのである。こうした努力が功を奏し、瀬戸や京都など国内の主要窯業地でも磁器が広く作られるようになったのは、幕末近くになってからである。もちろん、大需要地の欧州でも、各国が競いながら磁器生産法の確立を急いだ。けれど、マイセンが欧州で初めてそれに成功するのは18世紀に入ってからのことであった。

 こうしてみると、やきものの歴史は、土器に始まり無釉陶、施釉陶、磁器という進化の過程を経て現在に至っていることがわかる。この、最新技術である磁器に対する高い評価は、欧米などの需要地では今でも変わらない。工業的手法によって磁器の大量生産が可能になると、磁器は貴族の占有品から一般家庭や大衆的なレストランで普通に使われるものになった。現在、私たちが普通に目にする洋食器類は、ほとんどが磁器である。

 これに対して日本では、現在でも無釉、施釉の陶器が、日用品として、さらには最上の食器、茶道具として愛され作り続けられている。ただ、精巧さを基本とする磁器は工業的手法との相性が悪くないのに対し、味わいを生命線とする陶器は、どうも機械生産とはなじみにくい。この結果として、陶器を愛するという世界でも稀有な美意識を引き継ぐ日本では、これまた先進工業国としては稀有な、手の技を基本とする陶芸という仕事が今日に至るまで健全に伝え継がれてきた。

 茶聖千利休の遺徳とでもいうべきか。(文中敬称略)