「戦後の日本人には確立された価値観がない」

 問題は、「敗レテ目覚」め、「新生」日本となったかどうかである。吉田氏は『戦後日本に欠落したもの』という一文に、「われわれ日本人は、戦争と敗戦の経験を通して、本当に目覚めたのか。日本が孤立化の道を突き進んだ果てに、奇襲攻撃によって先端を開かざるをえなかった経緯の底流にあるものを、正確に解明することができたのか」と書いた。この文章は55歳の時に発表された。『戦艦大和ノ最期』初稿を執筆後、日本銀行に入り、業務に邁進した吉田氏は著述家としてはさほど活動しなかったが、50歳を過ぎてから再び、積極的に書くようになった。30年近い沈黙は、日銀マンとして新生日本に貢献する活動に全力を挙げたからであろう。

 だが、30年経って吉田氏が目にした日本は、大和とともに沈んだ人達に報告できるものではなかった。50歳以降、吉田氏が発表した文章は語り口こそ穏やかだが、痛烈な日本批判が展開されている。例えば『戦責告白と現代』には次の下りがある。

われわれの精神構造には戦前よりも劣る面がある。戦後の日本人には確立された価値観がない。共通の理解がない。したがって外に向かっても、一貫した立場、節操がない。目につくのはその場主義の計算である。発言は多いが行動は鈍い。平和国家を誇りにしているが、現実の平和に貢献した実績はない。みずからの痛みにおいて世界の平和に協力した経験がない。

 戦後30年足らずで日本は奇跡の復興を成し遂げ、経済大国と呼ばれるようになった。その復興に専念してきた吉田氏であったが、戦前同様、あるいは戦前以上に「われわれ」には「節操がない」と断ぜざるを得なかった。

批判さるべきは、みずからのうちに成長率の節度を律するルールを持たない、日本社会の未熟さであり、こうした培われた国と民族の伸長力を、何の目的に用うべきかの指標を欠いた、視野の狭さ、思想の貧困さである。(『戦後日本に欠落したもの』)

 戦前の日本は「培われた国と民族の伸長力」を軍事に注ぎ込み、先進諸国の真似をして植民地獲得に乗り出し、結局すべてを失った。が、戦後も朝鮮戦争特需で息を吹き返すと、集中豪雨のような輸出によって世界各国に攻め込んだ。高度成長時の先人の頑張りによって、筆者を含む現代の日本人は物質面で豊かな暮らしを享受している訳だが、広い視野と豊かな思想を持っているとは言い難い。

存立の基盤まで喪失した愚

 かような事態に陥った原因を吉田氏は「存立の基盤であるアイデンティティー(自己確認の場)まで喪失したことの愚」(『戦後日本に欠落したもの』)と断じる。前出の「確立された価値観がない。共通の理解がない」との指摘も同じ事を言っている。敗戦後、戦前のすべては間違っていたと決めつけてしまったが、その時に「アイデンティティー(自己確認の場)まで喪失した」という。

敗戦を契機に、アイデンティティーの意味を改めて確認し、その内容を充実させるために努めるべきであったのに、アイデンティティーそのものが、日本人の発想のなかから、意図的に排除された。そもそも経済発展によってえられた国力の増強、発言力の増大は、それだけでは意味をなさないのであり、それを何に役立てるか、アイデンティティーの確立のためにどう生かすかが、問われている課題だったはずである。(『戦後日本に欠落したもの』)

 『戦艦大和ノ最期』が発表当時、批判の嵐に見舞われた事も、戦後の戦前全否定の実例として挙げられよう。批判理由は「戦争肯定の文学であり、軍国精神鼓吹の小説である」というもので、従軍した吉田氏の行動は「戦争協力行為」だという糾弾までなされた。2008年の今、『戦艦大和ノ最期』を読んで、「軍国精神鼓吹」である、著者の戦争責任を追及すべき、などと叫ぶ人はおるまい。いや、いまだにそう言う人はいるかもしれないがごく少数だろう。

 戦前全否定の嵐は一応収まった恰好だが、我々は全否定の上で出発した“新生日本”の中にいる。だが「自分は日本人であるという基盤を無視し、架空の『無国籍市民』という前提に立って、どれほど立派な、筋の通った発言をくり返そうとも、それは地に足のついた、説得力のある主張とはならないであろう」(『戦後日本に欠落したもの』)。

 話が非常に大きくなってしまった。「存立の基盤であるアイデンティティー」という目に見えないものと、「その場主義の計算」に基づくビジネスという目に見えるものの関係は、「虚実」という本コラムの主題なのだが、改めて別の機会に考えるとして、吉田氏が『臼淵大尉の場合』に記した逸話をいくつか紹介することに残りの紙幅を使いたい。