集団的価値観が通用しない時代に

 しかし,1990年代に入ってバブル崩壊を契機にして右肩上がりの成長は終わりをつげた。集団的価値観が通用しない時代になったのである。通用しなくなったにもかかわらず,日本人は集団的価値観を捨てることができない。例えば,企業によっては業績が悪化して労務費削減の必要に迫られても,集団的価値観がこの場合は「皆で助け合おう」という考え方に変化して従業員を解雇できない(良いか悪いかは別にして)。過剰な人員を抱えて,少ないポストを巡って争うようなギスギスした社内環境になってしまった。

 野口氏はまた,「皆で助け合おう」ということが,「貧しい状態が望ましい」→「誰かが豊かになるのは許さない」→「全員が貧しくあるべきだ」という考え方に発展していくとみる。その結果,足の引っ張り合いと,中傷が蔓延する状況となる。現代の企業はそうした状況に陥っており,その状況は江戸時代後期の武士階級そのものだと野口氏は言う。

 こうした状況を打開する一つの方策として野口氏は,リタイア後に組織に依存して退職金と年金だけをあてにしてるのではなく,自ら事業者となることを推奨する。野口氏はその理由として,サラリーマンが天引きされている厚生年金の保険料を,事業者になることによって国民保険に移行することによって払わなくてもよくなるというメリット(それにより現年金制度の崩壊と抜本見直しを野口氏は主張している)をまずは強調しているのだが,それと共にリタイア後に独立することによって,生活に張りが出てきて,生きがいにつながるという面も強調する。

リタイア後だからこその事業化

 リタイア後の独立ということに対して日本人は一般に慎重だが,野口氏はリタイア後だからこそできる事業化があるのではないかと説く。現役時代は家族を養い,子供に教育を受けさせるなければならず,事業化に踏み切るハードルは高い。しかし,リタイア後は,自己を犠牲にする仕事からは解放され,自分の好きなことを,自己実現のためにやればよいというのである。

 もちろん,リタイア後の人生は人それぞれであるが,自己実現の一つの方策として,事業化を考えてもよいのではないか,と野口氏は提唱する。それは,つまり,江戸時代の後期と同様の成熟期に入った現代において,武士の生き方ではなく,農民や商人の生き方に学ぼうということだ。江戸時代と現代が違うのは,江戸時代は身分が固定されていて武士が農民や商人になることは難しかったが,現代は選択の自由がある。

 とはいっても,事業化して成功するかどうかは,その個人が培ってきたスキルや能力,市場からのニーズ,環境によって左右され,様々なリスクも伴う。筆者がこれまで取材などでお世話になった方々を思い浮かべても,リタイア後に事業化された方は現役時代に会社の枠を超えて注目される能力やスキルをもっていたケースが多いようだ。

 例えば,リタイア後にコンサルタントを開業したある方は,自動車メーカーで生産技術者だった現役時代からすでに,同氏が考案したある改善の手法が業界全体で評価されていた。当社からその手法を紹介する書籍を出版させていただいたほどである。先日お会いしたところ,リタイアして数年後であったが,現役時代と変わらないくらい多忙な毎日だと言う。しかも顧客は,古巣の自動車メーカーや系列の部品メーカーだけでなく,他の自動車メーカー系や,さらには異業種にまで広がっていて,日本全国を飛び回っているとのこと。まさに野口氏が提唱されるリタイア後の生き方の見本のような方である。

 ただ一方で印象的だったのは,この方が好きなゴルフをやったり飲み会をしたりといったオフの時間は,かつての同僚たちと楽しむことが多いと語っていたことである。実はその時,筆者はリタイア後の技術者の方々に生産技術のスキルを要するある仕事を依頼したいと思っていたので,かつての同僚の方々の消息を聞いた。すると,この方のように独立するか雇用延長して現役時代と同じように忙しく働いているか,仕事からまったく離れて趣味三昧の生活を送っているかの両極に分かれるというのである。

 しかも,仕事から離れて趣味三昧の生活を送っている方には,現役時代のスキルを当てにした仕事は頼めないだろうという。「鬼の○○」と呼ばれ,周囲から怖れられるとともに尊敬されていたような生産部門の強面も,リタイアして数年経つと勘が鈍ってきて,もう一度仕事しようという気力がわかないということのようだ。かといって忙しい方は時間的に余裕がなく,筆者の勝手な都合に合わせた人材はなかなかいないと思い知った記憶がある。