「そういえば」と話題は、某人気番組に登場して1300万円の高額鑑定となった青海波塗の箪笥に飛んだ。「テレビの映像を見ただけで言うのもなんですが、あれって本当に本物なんでしょうか」と漆芸家氏はいう。「もう一つ切れがない」ところが引っかかっているらしい。それきた、ということで店主がその種明かしをしてくれた。実は、古い資料に例の箪笥が載っていて、是真の弟子である泰真の作品ということになっているのだという。知人の漆芸研究家が発見したらしいのだが(関連情報)、「ここにあるよ」ということでその資料を見せてもらった。なるほどその通り。どうやら悪い業者が「泰真」の銘を消して「是真」の偽銘を入れてしまったようだ。そもそも泰真は是真の高弟。弟子として、師の作品の青海波塗もずいぶんやっていたという。それでも見る人が見れば、是真と泰真では作品のレベルが違うということか。いやはやおそろしい世界である。

オーバースペックは美点か欠点か

 もっとも、それは多くの人がぱっと見たくらいでは区別できない差だろう。でも、あるとき偶然、あるいは他人に指摘されて「すごい」と気付く。そのすごみは、知れば知るほど深く身に沁みてくる。それが一層の愛着となるのかもしれない。そんな深みが、工芸品には欠かせない要件なのだと思う。すごく簡単にいえば「オーバースペックを喜ぶ世界」ということか。

 工業製品でも「その性格が工芸品に近い」と言われる高級機械式時計なども、「オーバースペックを大いに楽しむ」製品である。例えば、昔から人気が高いものに「複雑時計」と呼ばれるものがあり、その一つとしてクロノグラフという腕時計にストップウォッチ機能を組み込んだものがある。そもそもは航空機のパイロットなどが燃料残量を計測したり速度を算出したりするために使ったらしいが、現在の都市生活には不要なもの。自分の時計にそれが付いていても、まず使う機会はない。それでも、そんなものがついていれば「おー動く動く」と感動し、「すごいなぁ」となぜか感服してしまうことになるのだろう。

 一方、よくできた工業製品は正反対に「オーバースペックを徹底排除したもの」だとある方に教えられた。ある複写機の量産工場を取材したときのことである。例えば、ある部品の耐用年数は10年だが、別の部品は20年。この場合、後者はオーバースペックでオーバースペックこそがコスト削減の大敵なのだという。このムダを削るために、例えば素材を落としてコストを下げ、耐用年数を10年まで落とす。「すべての部品が耐用年数に達すると一斉に寿命を迎える。これが理想の工業製品です」とのお話しだった。

似ていて非なるもの

 別の尺度でいえば、価値が存続するものが工芸品で、耐用年数以前に陳腐化してしまうのが工業製品ともいえるかもしれない。これは歴史が証明してくれることだが、昔から優れた工芸品は、芸術品と同様に新しい古いにかかわらず、その完成度などを基準に価値が決められ売買されてきた。「進歩があるとは限らない」ものだから、致命的なダメージがない限り、古いことが価値の上で不利になることはほとんどないのである。

 ところが、「進歩を続ける」工業製品は、先に挙げた時計の例などを除けば、一般に陳腐化しやすい。機能が新しい製品に比べて見劣りするようになったり、機能は変わらなくても新製品でコストダウンが進み、経済的価値が下がったりしてしまうのである。陳腐化しにくいものを陳腐化させるということも、例えば工業製品のデザイン現場では常套手段として行われる。その一つは、形状や色などに流行を取り入れるということだ。流行りのものは、それが流行っている時点ではカッコイイ。でも、その流行は必ず廃り、何年か経つと「ダサい」ものになってしまうのである。