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幸之助を支えたエンジニア,中尾哲二郎が遺したもの

【技術者・中尾に学ぶ】第3回:軍を驚かせたラジオ、4倍の仕事で立ち上げた電池

  • 2008/05/30 18:00
  • 1/3ページ

 この時代の中尾哲二郎は、戦時統制下での軍需品開発、戦争直後の松下からの独立、復帰後の乾電池の自主開発、と一見不連続で振幅の大きな道を歩んだ。しかし技術の視点でその足跡をたどれば、軍用無線機の開発はのちの松下通信工業のルーツであり、今日の携帯電話事業にもつながっている。また、乾電池開発を契機に中央研究所が誕生した。今日の基礎研究体制はここからスタートしたといえよう(図1)。

 図1●中尾哲二郎年譜(3)-1937(昭和12)年から1953(昭和28)年まで
図1●中尾哲二郎年譜(3)-1937(昭和12)年から1953(昭和28)年まで

 1937(昭和12)年に始まった日中戦争を契機に、日を追って戦時色は濃くなり、統制経済に移行していった。「このような情勢の中で、家電器具を製造していくのは難しい」と判断した中尾は、軍の仕事に着手する方針を決めた。そこで品川に松下無線・東京研究所を設け、ここを拠点に陸・海軍まわりを始めた。しかし、ツテをたどって発注担当者と会うことができても、「ラジオ屋に軍の無線機はムリ」と取り合ってくれない。ただそれでも何度か出入りしているうちに、海軍が通信機の可変抵抗器で困っているという情報が得られた。可変抵抗器の性能が悪く、雑音で重要な情報を聞き逃すことがあるという。

 「これだ」と中尾は早速調査を始めた。何とか頼み込んで軍の無線機を借り、分解して調べてみると、抵抗体の塗膜組織がザラザラだった。「これでは雑音が出るのは当然だ」。中尾は必死になって改良実験を続けた。写真フィルムからヒントを得たディップ法による抵抗液塗着法、温湿度特性を抑えるため抵抗基板のガラス繊維への変更などを盛り込み、苦心してつくった完成品を海軍に持ち込んでみた。海軍のテスト結果は極めて好評で、文句なしの全面採用となった。

 この勢いで、軍用無線機は不向きだと言われていた大量生産を、ラジオの経験を生かして成功させた。こうした経緯もあって海軍との縁が深まり、戦後は海軍少将・佐波次郎はじめ多くの海軍技官が松下に入社した。

独立と復帰の狭間で揺れる

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