そういえばこんなこともあった。米国での教育の現場、つまり学校でのことである。スペイン語の通訳のいるクラスがあるそうである。つまり教室に2人の先生がいるのである。英語が理解できない移民の子ども達にもちゃんと義務教育を施していくための知恵と工夫とコストである。

 ここで考えてみよう。もし、日本でこんな事態が発生したらみんなどう反応するのだろうか。少なからぬ人たちは「日本に住みたいのならば先ず自分のカネと自身の努力で日本語を習得すべきだ。なぜ私たちの税金でそれをしてあげる必要があるのか」と主張するのではないか。ひょっとしたら、マスメディアもそんな国民感情に便乗するかもしれない。

 けれど、移民などに対してこうした配慮をしているのは米国だけではない。欧州でも難民を積極的に受け入れている例はいくらでもある。多くの国が、多人種、多言語、多民族であることの社会的コストを一生懸命払っているのだ。「日本は純粋な日本人だけの国家である」などとピンボケ発言を繰り返す政治家が存在を許される国は世界では非常に稀なのである。

アフリカ研修旅行

 ドイツ駐在の日本人から聞いた話である。彼のお嬢さんが通う中学校ではアフリカでのフィールドワークが授業の一環として組み込まれている。そのプログラムの中でお嬢さんがアフリカに行きたいといったとき夫婦間でちょっとした論争になったそうである。娘の将来を考えると果たしてリスクを犯してでも行かせるべきか、それとも安全策をとって参加を止めさせるのか。

 結局は積極論が勝ち、結果は大成功。お嬢さんはもとより、アフリカ訪問は素晴らしい体験だったと今では家族全員で喜んでいるそうである。では、同じ話が日本でありうるのだろうか。アジア諸国などへの研修訪問を実行している中学校があるなどという話はとんと聞かない。もちろん、修学旅行ならあるだろう。でも修学旅行と研修旅行は根本的に違う。前者は観光地巡りをするものだが、後者は現地の人々の生活に入り込む体験的研修である。