「四半期決算に追われている米国の経営者は短期にモノを考える。それに比べ安定株主と終身雇用に支えられた日本の経営者は長期戦略で動く。だから日本経済は米国経済を凌駕するのだ」

 かつて経済運営や企業経営の日米比較論でよく言われたことである。筆者の若い頃は、この論理で世界を見ていたし、1970年代央のニューヨーク駐在時代には、この「日本の長期主義」をずいぶん誇りとしていたものである。だが今では、それも夢のまた夢。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」が一世を風靡した時代の、古きよき思い出でしかない。

 ひるがえって現在、温暖化問題をはじめ山積する重要課題への日本のアプローチを見ていると短期主義がそこらに横溢しているのではと、非常に心配になってくる。かつて日本が世界に誇った長期主義は、いつ、どこに消えたのだろうか。

10年はなぜ失われたのか

 日本の1990年代は「失われた10年」と呼ばれている。土地神話の崩壊に始まったバブル経済の崩壊は日本の経済のみならず社会にも政治にも大きな混乱をもたらした。中でも金融バブルの破裂は金融システムの崩壊すら危ぶまれる状況にまで広がった。なぜ混乱がここまで拡大したのか。なぜ収束に10年もの時間を要したのか。既に様々な解答が出されているが、筆者には日本人のモノの考え方にその原因が潜んでいるように思われてならない。

 そのモノの考え方とは「短期主義」である。まず、問題が内在化する過程を見てみよう。そもそも日本に本当に長期戦略があったのであれば、あれほどのバブルが生まれはしなかっただろう。長期的な視点でモノを考え行動する人々が主流であれば、あれほど短期に土地や株式の値が急騰することは考えられない。

 多くの企業が本業外の金融商品で短期利益の確保に走るなか、真面目なものづくりに専念する企業が「それはおかしい」と声を上げなかったはずはない。けれども、その声は「時代遅れ」で「稀少な意見」ととらえられ、喧騒の中に埋没してしまったことだろう。つまり、その当時にはすでに、目先の利益しか見ない短期主義が日本を覆い始めていたのではないかと思う。