ただし、少なくとも私がメーカーに在籍していた80年代後半には、それは機能不全に陥りつつあったように思う。かつていた会社は、社員は残らず組合員になるというユニオンショップ制を敷いていた。それでいて、労働組合は一つしかないのである。組合からすれば、競合相手はなく、しかも全員が自動的に組合員になってくれるという何とも極楽のような状況である。これでは、企業努力ならぬ「組合努力」がなされるはずもない。

 いや正確にいえば、第2組合的な勢力はあった。けれど、徹底的に弾圧されていた。例えば、執行委員は組合員による選挙で決めるのだが、その勢力からも立候補者が出る。けれど、その演説すら一切聴くなという通達が回るのである。実際、昼休みなどに開かれる立会演説会では、「組合公認候補」の演説はみなが聞く。聞かなければならないのだ。しかし、「非公認候補」が壇上に立った瞬間、逃げるようにみなその場を離れるのである。

 その光景があまりに不気味で、かつ「非公認」の人が何を言うのか興味もあったものだから、居残って聞いていたことがある。するとそのすぐ後、上司に呼ばれて注意というか、アドバイスを受けた。そんなことをすると出世が遅れるぞ、という。もちろん、親切心で言ってくれているわけなのだが、「何で私が居残っていたことを知ってるの」と、ちょっと驚いた。どうやら組合は、誰がその場に残って非公認候補の演説を聞いていたかをチェックしていたらしい。その情報が会社ルートで流されたのである。

こんなことで評価を下げても・・・

 こんなこともあった。貧乏だったので本は古書店でしか買えなかったのだが、ある本を読んでいて、前の持ち主がしおり代わりに使ったとおぼしき絵葉書が挟まっているのを発見した。それは毛沢東の肖像をモチーフにしたアンディ・ウォーホルの作品。彼の絵が嫌いではなかった私は、それを喜んで机の前に張っていたのである。その件に関しても、同じルートで「アドバイス」を受けた。ウォーホルではなく、毛沢東が組合的にはNGだったようだ。

 それに気をよくした私は、追試をこころみることにした。組合主催のソフトボール大会に職場の有志で参加することになったのだが、そのチーム名を「重慶棒球団紅旗隊」とし、登録しようとしたのである。今となっては想像しにくいが、当時の中国はバリバリの共産主義国家だった。だから、その国を賛美する人は「思想的にもそっち方面」と見做される可能性がある。それをねらったわけだが、その通り、NGだった。

 二度目だったものだから上司から会議室に呼ばれ「お前なぁ、せっかく本業で頑張ってるのに、こんなことで評価を下げてもったいないと思わないのか」と説教された。「思想的信条があってやってることならしょうがないけど」とも言われたけど、そんなものはほとんどなく、ただ天邪鬼なだけである。だから、さすがにこれ以上の冒険は自粛した。