8.金融センター

   世界の各都市の金融センターとしての競争力をランキングする指標としてGFCIなるものがある。それによれば、トップはいわずと知れたロンドン。続いて、ニューヨーク、香港、シンガポール、チューリッヒ、フランクフルト、ジュネーブ、シカゴ、そしてシドニー、やっと10位で登場するのがわが東京である。

 強い金融市場を持つには必ずしも大きな経済をもつ必要はない。だからGDP世界第2位の経済大国の首都であっても、東京はジュネーブやシドニーにまで抜かれたのである。すぐれた金融マーケットを持つのは一国の興隆にも大きな影響がある。世界に冠たる1000万の人口を抱える国際都市がこんな低順位に甘んじるのはおかしいと考えるべきだ。東京が再浮上するには様々な規制やルール、金融当局のあり方、税金の体系を見直し、弁護士や会計制度、英語を話すオフィスワーカーを整備するなど、世界が受け入れるシステムへと脱皮することが不可欠だ。

未来はあるか?

 こうやって見てみると、日本の問題は相当深刻だ。時間が解決するものではなさそうである。このまま何もしなければ日本は本当に沈没するだろう。

 では、行動すれば道は開けるのだろうか。もちろん、答えは「イエス」である。とすれば、何をすればいいのか。様々な処方箋が考えられるなかで「温暖化対応」は極めて有力な鍵となると思っている。その辺りに少し触れてみたい。

 温暖化といえばすぐに100年後の真夏日は何日になる、豪雨が降る、梅雨がなかなか明けない、感染症が心配されるといった、いわば気象条件の話になりがちだ。それも極めて大事な話ではあるが、温暖化問題を考えることは、実は日本の将来のあり方を考えることと同義なのである。

 なぜならば、温暖化は第一に政治の役割を考えなおすことを求めるからである。日本という国をどこに向かわせるのか。資源のない島国たる日本がこれから温暖化で苦しみ、混乱も予想される世界の中で何を「国是」として生きていくのか。国のあり方の根本を見直す必要に迫られている。東洋の大陸のはずれにある一島国で細々暮らすことでよしとするのか、それとも地球社会が直面する困難な問題の解決に率先して当たる気概のある国を目指すのか。

 もちろん、この議論を深めることで、政治にとどまらず、経済の在り方までも考え直す必要がでてくるだろう。敗戦の灰燼から見事に東洋の奇跡を生み出したあのバイタリテイをどう取り戻すのか、未来に向けての投資をどう取り戻すのか、新技術へのみなぎる欲求をどう創り上げていくのか。20世紀型の経済運営が完全な失敗とわかった今、21世紀型の新しい経済運営のビジョンをどう描くのか。

 それは教育にもかかわってくる。溢れる「モノ」に埋もれ将来への希望を失った若者へどんな「坂の上の雲」を描かせるのか。必死になって競う中国の若者達と切磋琢磨できる若者をどう育てるのか。お金だけではない人生の価値をどう見つけさせるのか。世界の多くの苦しむ同世代の若者へ暖かいまなざしを向けられる若者をどう育てていくのか。

 いま、世界はこぞって21世紀をどう生きていくべきなのかを思案し、新しいモデルの模索を始めている。そのモデルの中身を競う時代が始まったのである。人材、技術に支えられた生産力、巨額の金融資産などなど、まだまだ日本には多くの財産が残っている。それだけではない。「自然との共生」というDNAを持つのは日本人の誇りだ。21世紀のモデルを創る上でこんなにも高い可能性を秘めている国はそれほどない。

 あとは、どうやってそのロウソクに火をともすかだけなのである。

著者紹介

末吉竹二郎(すえよし・たけじろう)=国連環境計画・金融イニシアチブ(UNEPFI)特別顧問
1945年1月、鹿児島県生まれ。東京大学経済学部卒業後、三菱銀行入行。ニューヨーク支店長、同行取締役、東京三菱銀行信託会社(ニューヨーク)頭取、日興アセットマネジメント副社長などを歴任。日興アセット時代にUNEPFIの運営委員会のメンバーに就任したのをきっかけに、この運動の支援に乗り出した。2002年6月の退社を機に、UNEPFI国際会議の東京招致に専念。2003年10月の東京会議を成功裏に終え、現在も引き続きUNEPFIにかかわる。企業の社外取締役や社外監査役を務めるかたわら、環境問題や企業の社会的責任(CSR/SRI)について、各種審議会、講演、テレビなどを通じて啓蒙に努めている。趣味はスポーツ。2003年ワイン・エキスパート呼称資格取得。著書に『日本新生』(北星堂)『カーボン・リスク』(北星堂、共著)『有害連鎖』(幻冬舎)がある。