2003年11月、ニューヨークはイーストリバー沿いに威容を誇る国連ビルに、世界の大物機関投資家たちが集結した。政治家や外交官らのメッカである国際政治の大舞台に、巨額のマネーを動かす金融のプロがこれだけ集まるのは珍しい。

「皆さん、地球の未来は皆さんの手の内にあることをご存じでしょうか」

 機関投資家を前にそう問いかけたのは、金融界の顔役ではなく、国連事務総長(当時)のコフィ・アナン氏だった。彼は言う。「皆さんの判断一つで、将来における地球のCO2濃度が決まるのです。皆さんがこれまでのような投資を続ける限りCO2の排出は減りません。CO2の排出を減らすには投資が変わらなければならないのです。CO2の削減を目指す事業や企業に、もっともっとお金を回してください」。「気候変動に関する機関投資家サミット」でのひとコマである。

 そして2007年、IPCC(気候変動に関する政府間パネル=温暖化問題を科学の面から調査し参加国の政府に情報を提供する国連主催の機関)は温暖化の原因とその影響についての研究成果を発表した。「温暖化は始まっており、その影響はすでに全大陸と海洋の一部に表れつつある。その原因は人間にある。このままでは危機的コースは避けられない。一刻もはやく削減に取り組むべきだ」と。このメッセージは、科学者からの最後の警告として世界の人々に大きな衝撃を与えた。しかし、人々が衝撃を受けるだけでは何も解決しない。世界を変えるには「現実の力」必要だ。

責任投資原則

 そこで注目を集めているのが「投資」である。この強大なパワーを地球社会が抱える課題の解決に活用しようというわけだ。

 投資は「儲かる」ことを期待して行うのが大原則である。その大原則に、お金のリターンだけではない価値基準を持ち込む挑戦が始まっている。これまではお金だけを基準に投資を考えてきたが、その結果、世界は問題を山ほど抱えることになった。それならば、新しい価値基準で投資判断を下すように変えるしかない。もはや状況はそこまで追い込まれている。では新しい基準とは何だろうか。それは環境であり、企業の社会的責任であり、ガバナンスであり、人権問題である。

 中でも重要なのが環境への配慮だろう。もちろん、お金は大切である。わずかのお金が人生を決めてしまうことだってある。けれど、その大切なお金を稼ぐ行為が温暖化を招き、地球を滅ぼすことでわれわれ人間、さらには地球を住み家とする生命全体の存続を脅かしているとすれば、こんな愚かな話はない。その滅亡に向かう道を私たちは既に歩み始めている。その歩みを止めるための抜本的な対策をすぐにも打たなければ、手遅れになってしまう。

 その意識が、投資家の行動を変えつつある。アナン氏は、韓国出身のバン・ギブン氏に事務総長の職を譲ったが、彼がまいた種はいますくすくと育ち、世界の投資家のバイブルとなっているのだ。そのキーワードは「責任投資原則」。お金だけではない。お金に替えられない大切なものとのバランスを取る。そうすることで投資家として社会への責任を果たそうというのである。

最初のターゲットは…

 投資家に意識変化を促すのは、国連だけではない。

 「私のお金を使わないで!」

 マンハッタンのど真ん中にこんな横断幕が掲げられ、ニューヨークっ子の目を引いた。サンフランシスコに本拠を置く有名な環境NGO(non-governmental organization,非政府組織)であるRAN(Rainforest Action Network,熱帯林行動ネットワーク)を中心とするグループの「環境破壊に繋がる融資を止めさせよう」というキャンペーンである。

 銀行は社会から預金というかたちでお金を集め、それを事業や企業、さらには個人への融資・ローンなどに使っている。そうしたお金を、地球環境を悪化させる事業には使うなという運動が展開され始めたのである。

 RANがまずターゲットにしたのは、Citigroupだった。このキャンペーンを張ったチームのトップは言う。「銀行は経済合理性だけでお金を貸してほしくない。正しいことをしてほしい」と。長い銀行の歴史の中で「預金者のお金がどう運用されて、その結果として何が起きたのか」ということに関して、銀行が外部からの監視を受けることはなかった。そんなことでいいのだろうか、という疑問から始まったのがこのキャンペーンなのである。

 RANとCitigroupの攻防は実に4年にもわたった。長い闘いであった。それを経て、Citigroupがある公約を発表する。

 「世界で金融ビジネスを展開するわれわれの地球社会に対する責任は何だろうか」。Citigroupの環境コミットメントは、こんな問題提起から始まる。そして同グループは「世界が直面する課題の解決に取り組むことがCitigroupの責任である。では、その課題とは何か。それは、環境の保全、貧困の撲滅、そして経済の成長である。Citigroupはこれらの問題への理解を深めその解決に取り組む」と社会に向けて公約した。

真の勝者

 銀行といえば資本主義の総本山だ。しかもその企業文化は概して保守的。その銀行が大胆にも「お金以外にも大切なものがある」と断言し、世界をあっと言わせたのだ。

 これ受け、RANは「Vitory!」と喜んだ。それはそうだろう。わずか3人のチームが世界最大の金融グループに挑み、成果を勝ち取ったのだから。

 しかし…。この闘いの真の勝利者はRANでもCitigroupでもない。それは市民であり、消費者であり、預金者なのである。そもそも同グループがこの公約を発表したのは、NGOのキャンペーンに音を上げたからではないだろう。単に社会貢献を考えたからでもない。社会の変化、社会からの銀行への期待の変化に対応することが自らの生き残り、ビジネスの拡大に役立つと考えたからに違いないのである。そこには冷徹な経営判断があったのだと私は思う。

 銀行であれ一般の企業であれ、社内論理だけで経営判断ができる時代はもう終わった。そのことを、この一件は私たちに教えてくれる。

著者紹介

末吉竹二郎(すえよし・たけじろう)=国連環境計画・金融イニシアチブ(UNEPFI)特別顧問
1945年1月、鹿児島県生まれ。東京大学経済学部卒業後、三菱銀行入行。ニューヨーク支店長、同行取締役、東京三菱銀行信託会社(ニューヨーク)頭取、日興アセットマネジメント副社長などを歴任。日興アセット時代にUNEPFIの運営委員会のメンバーに就任したのをきっかけに、この運動の支援に乗り出した。2002年6月の退社を機に、UNEPFI国際会議の東京招致に専念。2003年10月の東京会議を成功裏に終え、現在も引き続きUNEPFIにかかわる。企業の社外取締役や社外監査役を務めるかたわら、環境問題や企業の社会的責任(CSR/SRI)について、各種審議会、講演、テレビなどを通じて啓蒙に努めている。趣味はスポーツ。2003年ワイン・エキスパート呼称資格取得。著書に『日本新生』(北星堂)『カーボン・リスク』(北星堂、共著)『有害連鎖』(幻冬舎)がある。