最も大胆な動きを見せたのが松下電器産業だろう。1995年に交流方式PDPを手掛けていた米ベンチャー企業のプラズマコ社を買収、直流方式に特化していたために生じた技術的な遅れを一気に挽回した。この買収を遂行した同社元副社長の水野博之氏にうかがったところによれば、大手術だけに相当な困難が伴ったようだ。社内の猛反発がまずある。それをなだめたら、今度は米国側からのクレームである。「PDPは米国にとって重要な戦略的技術。その高度な技術を保有する企業を日本企業に買収させるわけにはいかない」というわけだ。

 こうした必死の対応を迫られている企業をよそに、一貫して交流方式の研究開発を続け、大型カラーパネルの商品化を成し遂げたメーカーがあった。富士通である。常にその研究開発活動の中心にあった篠田傳氏に、先日久しぶりにお会いした。現在は、ディスプレイ事業からの撤退を決定した同社を辞められ自身で新会社を設立、PDP技術を応用した新ディスプレイの開発を精力的に進めており、近く試作品を公にする予定だという。

信じる力

 その彼は当時、周囲のメーカーを「一体何をやっているのだか」という目で見ておられたらしい。「学生のころからやっていた技術だから、知り尽くしている。そのポテンシャルについては揺るがぬ自信があった。技術に対する執念とでもいうのでしょうか。それがあれば、いらぬ雑音などに惑わされることはないはずです」。

 その通りだと思う。ただ、この「技術に対する執念」という言葉は、篠田氏の「学生のときから一貫してPDPの研究開発に従事してきた」という経歴と重ね合わせて語られるとき、思わぬ曲解を招く。以前にメーカーの人事担当者にうかがった話だが、研究開発職を志望する理系学生の多くが、自身の卒業論文・修士論文などに関連したテーマを「将来性があるから」という理由で選びたがるのだという。「親バカ」などという言葉があるが、一度手掛けた技術には愛着が湧き、そのポテンシャルを高めに評価してしまう傾向があるらしい。篠田氏が言いたいのは、このように「たまたま誰かから与えられ担当することになった技術テーマに生涯固執しろ」ということではなく、「自身が信じる技術には徹底してこだわれ」ということだろう。つまり、執念を持つ前段階として「技術のポテンシャルや市場性、社会性を冷徹に見極め、信じるにたる技術であることを確かめる」作業が必要になるのである。

 面白い実例がある。尊敬する友人である秋山夫妻が1994年に創業した、サキ・コーポレーションというプリント基板の検査装置メーカーのケースである。会社設立の経緯を聞いて驚いたのは、妻である元経営コンサルタントの秋山咲恵さんが、何をやるかを決める前にまず会社を作ってしまったということだ。もちろん、ぼんやりとしたイメージはあった。夫の秋山吉宏さんは松下電器産業の研究所に勤務する技術者だったので、その能力を生かすべく技術を事業の核にするということだ。そのゆるやかな条件のもとに、成長性、市場動向、新規参入の可否、必要な投資額などを勘案し、「どうもプリント配線基板の検査装置を手掛けるのがよさそうだ」という結論を導き出したのだという。

 同社は、いまや同分野で世界シェア2位を獲得するほどの優良企業として知られる存在になっている。成功しているベンチャー企業のほとんどがIT系やサービス系に偏在しているなか、製造業分野で新興企業がこれだけの成功を収める例は、日本にあっては実に貴重なものだ。もちろん、創業当初の「技術選択」「製品選択」だけに勝因があるわけではなく、数多くの卓越した技術経営手法があってこそ成し遂げられた快挙である。それについては機会を改めて論じてみたいと思うが、幸いにも咲恵さんが最近『仕事力は習慣で鍛えなさい』と題した著書を出された。他社が出版した本であることが残念ではあるが、一読をお薦めしたい。