擬人化の才能

 電脳世界にも似たような構造が見られます。例えば、アバターという概念。Web上でチャットをする際に、文字のやり取りだけではさびしいということで、自分専用のアニメ的な顔を創作して仮想的な擬体として画面上に登場させています。話題のセカンドライフのような仮想空間などでも、自分の「仮の姿」であるアバターが歩き回って世間とつきあう仕組みになっています。

 同じチャットでも、何らかのメッセージ性を持つ身体を持った人同士が会話する場合には、ナマ感覚がグッと増すものです。あまりぶしつけな言葉を投げつけるのには若干のためらいを感じるはずです。枯れた文字列のやり取りが、時として人の持つ攻撃性に油を注いで炎上する現象は、本来行間に含ませるべきナマの感覚が不足していることも理由の一つに挙げられるでしょう。伝える技術の未熟さにも問題があったと思います。セカンドライフを観ていると、この問題を解決しようとする第一歩が踏み出されたのかな、という希望を感じます。

 実はここでも、日本人の「擬人化が得意」という気質が有効に働くはずだと考えています。通勤電車内でビジネスマンがマンガを読むほどに擬人化文化が市民権を得ている我が国です。政府もアニメ立国・デジタルコンテンツ政策を標榜するまでに至ったことは皆さんご存じでしょう。古来より受け継いできた八百万(やおろず)の世界観に基づく擬人化の才能は、分身アバターの活躍するネット空間の今後を考えるとき、天から授かったありがたい資産になるのではないでしょうか。

ものづくりの方向性

 技術開発の現場では、目指す商品の志とは関係なく、目標スペックが数値として降ってくることになります。なんやかんや言って目的が何であったとしても、結局はエンジンの馬力を10%上げろとか、通信速度を3割上げろとか、厚みを半分にしろとかいうような量の改善が求められるわけです。しかしエンジニアである前に社会の一員でもあります。諦観のあまり、自分が取り組んでいる技術課題の行く先に対して関心がないことはまずいことでしょう。

 凶暴化するドライバーとか荒れるチャットというような社会現象を耳にしたとき、エンジニアとして「これは作り手として恥ずかしいことだ」と感じる感性と、そんな技術の未熟さ・稚拙さに対する危機感を感じる価値観が大事だと思うのです。企業側の論理とすれば「そんな青臭い書生みたいなこと言われても、今日明日食っていけないじゃないか!」となるでしょう。その通りです。しかし、やはり、もはや我が国は衣食足りてしまったのです。その上でさらに、限りなく贅を尽くしたものづくりという方向に進むべきなのでしょうか。同じ贅沢にも、二つの方向性があります。自分のためという方向性と、周りのためという方向性です。私たちならではのコアコンピタンスを考えるとき、答えは自ずと見えてくると思うのですが。

 昨年は国家の品格という本が大ヒットしました。それだけ品格というキーワードに心を動かされた人々が多かったということだと思います。ならば、エンジニアリングも品格で勝負。これまで、カイゼンや小集団という独自のプロセスを生み出し、高い信頼性や使い勝手のよさを実現してきた日本のエンジニア魂こそ発揮すべきでしょう。BRICsなど発展途上国が追いかけてくる今だからこそ、技術も品格で勝負すべきだと思うのです。

著者紹介

川口盛之助(かわぐち・もりのすけ)
慶応義塾大学工学部卒、米イリノイ大学理学部修士課程修了。日立製作所で材料や部品、生産技術などの開発に携わった後、KRIを経て、アーサー・D・リトル(ADL Japan)に参画。現在は、同社シニアマネージャー。世界の製造業の研究開発戦略、商品開発戦略、研究組織風土改革などを手がける。著書に『オタクで女の子な国のモノづくり』(講談社)がある。

本稿は、技術経営メールにも掲載しています。技術経営メールは、イノベーションのための技術経営戦略誌『日経ビズテック』プロジェクトの一環で配信されています。