『週刊ダイヤモンド』6月2日号の特集「テレビ局崩壊」が抜群に面白かった。 メディアの中でテレビばっかりボロ儲けしやがって、という妬みから言うわけではない。テレビ局が崩壊すれば、私だって多少は影響を受けるのだから。ではなくて、これを読むと改めて考えさせられるのである。放送局は「2011年に地上デジタル放送(地デジ)へ完全移行」などという無茶をなぜ受け入れてしまったのかと。

 放送がデジタル化したなら、これまで通りのCMは入れられなくなる。インターネットのようにバナー広告か何かを入れるのだろうか。それをやったとしても、どうやったって現在の収入は確保できそうにない。「通信と放送の融合」という小泉内閣の竹中平蔵氏が中心にやってきた会議が指し示すように、また、ホリエモンが予言したように、テレビ番組は最終的には膨大なネット・コンテンツのうちの一つ、ということになってしまう。

 ダイヤモンドの特集で一番びっくりしたのはフジテレビの売上高が5827億円で、NHKの受信料収入6100億円に限りなく近づきつつあることだが、デジタルに移行したならば、そんな広告収入など望めなくなるわけだ。そうなれば、テレビはCMでなく「おカネを払って番組を視てもらうこと」、つまり視聴料を主な収入にすることになる。そうでしょ? そうだとして、サッカーのワールド・カップやプロ野球ならともかく、芸人がギャーとかワーッとか騒ぐ、勢いで見せる番組を買ってまで視ようという人はいるのだろうか。藤原紀香の結婚式なら、まあ買う人もいるかもしれないが。

 でも、ダイヤモンドに言わせれば「そんなのちっちゃい問題」ということになる。なにせ、2011年のデジタル放送への完全移行そのものが不可能なのではないかというのが特集の趣旨だからである。ご存知だろうが、2011年というのはデジタル放送が始まる年ではない。すでに始まっている地デジに完全移行するため、現行の地上アナログ放送を停止する年なのである。そうなれば、現在のアナログ・テレビは映らなくなる。全国民はあらかじめ地デジ受信機付きのテレビに買い替えて、その日に備えておかなければならない。

 その地デジ受信機は、なるほど現在までに2000万台が売れている。しかし、日本にあるテレビは現在約1億2000万台。これから4年間で毎年1000万台売れたって、アナログ放送が終了する2011年7月24日までに追いつくわけがないだろう。「新しい商品の普及が16%を超えると爆発的に広まる」というエベレット・ロジャースの「16%理論」が総務省の頼みの綱らしいが、それは、「まったく普及してない製品」の話。「ベンツの普及率が16%を超えると、日本中のクルマがすべてベンツになると言っているようなもの」とジャーナリストの坂本衛氏は看破する。

 ダイヤモンドは、「デジタル放送では放送受信から映像表示までに数秒といった遅延が起きるため時報が出せない」「廃棄されることになる5000万台ものアナログ・テレビをどうするのか」など、10の難題を挙げている。それを読むまでもなく、直感的に考えても1億もの人びとがパッとデジタルに切り替えることが可能なんて、信じられるわけがない。ということは、そもそも、と思う。テレビ局、特に民放は、本当はデジタル化をやる気なんて最初からなかったのではないか。

 世界の潮流はデジタル方式と当時の郵政省が言ったのは94年。2010年をメドに放送をデジタル化する「放送高度化ビジョン懇談会」の発足は96年。時まさに、バブル崩壊不況のまっさかり。「もしもテレビがいっぺんに5000万台も売れたら、すごい景気回復するなぁ」とでも考えただけなんじゃないか。「その方向でいくから、細かいとこは各局でやってくれ」とか。

 各局は許認可事業であるから、もちろんお上に協力するふりをして、女子アナを出し合って地デジの宣伝くらいはした。けれども、まだ来てもいないデジタル時代に備えて、どんなビジネスモデルなら放送が続けられるかなんて複雑なことを考えるヒマなんてない。予算もつかない。で、何となくその日を迎えてしまって「あ、やっぱ無理でしたかハハッ、ハハッ」とでも笑ってごまかす算段なのではないか。

 これは大変深刻だと思う。見方によっては今沸騰している年金問題よりずっと深刻だ。なぜって、年金問題はテレビが報道したから一般に燃え広がったのだ。テレビがなかったら、年金問題もない。

 で、政府はどうするつもりか。アナログ放送打ち切りまでの最後の3年で、「国がデジタル・テレビを買い上げて、買えない人には贈呈します」とか言うわけ? そうなれば、巨大予算が問題になるだろう。それをクリアしたとして、「テレビなんて視なくてもいいもん」という人びとが圧倒的になっていたらどうする? このとき報道は・・・。

 「美しい」デジタル化の夢を語りながら「あいまいな」まま放置する。これは国民バカ化計画ではないのか。

【注】このコンテンツは、以前に日経ベンチャー経営者クラブのサイトで「美しくて、あいまいな日本」というコラムの記事として公開されていたもので、Tech-On!に再掲いたしました。

著者紹介

神足裕司(こうたり・ゆうじ)
1957年広島生まれ。慶応義塾大学法学部政治学科卒。筒井康隆と大宅壮一と梶山季之と阿佐田哲也と遠藤周作と野坂昭如と開高健と石原裕次郎を慕い、途中から徳大寺有恒と魯山人もすることに。学生時代から執筆活動をはじめ、コピーライターやトップ屋や自動車評論家や料理評論家や流行語評論家や俳優までやってみた結果、わけのわからないことに。著書に『金魂巻』『恨ミシュラン』あり。