企業危機管理の専門家である田中辰巳氏は、じゃ、不二家はどうすればよかったかと問われて、最初の会見で「ケーキ事業から撤退します」と言うべきだったという。

 前例として2003年8月にドラマ『西部警察』のロケ中、暴走車が見物客に突っ込んだとき、石原プロ渡哲也社長が「制作を中止します」と会見したことを挙げる。そういえば昨年7月には、欽ちゃん球団「ゴールデンゴールズ」の山本圭一氏が問題を起こした時、欽ちゃんはすぐさま「大好きな野球だけど、やめることにしました」と宣言した。この二つのケースでは、大いに同情が集まり「そこまでしなくても」という感情のもと、結果として事業は存続した。

 私は企業不祥事の原因について疑いを持つものだ。本当に、重大な事態を招くほど、不祥事の内容は重大なものだったのかと。2000年の雪印食中毒事件では、大阪本社で広報担当にこっそり聞いた。「でも、牛乳でおなかを壊すってよくあることなんでしょう?」と。担当者は「そういったクレームはしょっちゅうあります」と、ぼそぼそ答えた。雪印が初動を誤った裏には当事者たちの、こうした「あいまい」さに慣れた意識がある。

 確かに消費期限切れの牛乳を使っていたことは責められるべきかもしれない。食品衛生法基準を超える細菌、ネズミの出る工場も問題だ。しかし、閉店した百貨店の食品売り場の担当者は「ネズミの糞はそこいらじゅうにあります」と言っていたし、カップコーヒー自動販売機の裏側にはゴキブリがびっしりいます、なんて話はいくらでもある。

 それでも、日本人のあいまいさの裏にある潔癖性は、不二家のミルキーやカントリーマムなど、洋菓子以外の製品も店頭から撤去させる。危険性も安全性も確認されてない。が、不二家は「穢れ」なのだ。

 首脳陣はどう考えていたか?

 11日、内部通報者によるマスコミリークへの対応で藤井林太郎社長は、ごくふつうの言い訳をした。内部文書には「雪印の二の舞になる」とあったのだが、見事に雪印の轍を踏んでしまったわけだ。雪印の場合と同様に、食中毒や工場の衛生状態は問題の中心ではなかったのである。それを見抜けなかったということだろう。

 不二家は、消費期限切れの牛乳を使っていたことを11月に知りながら隠した。隠そうとしたから、暴く側に熱が入る。羽賀研二氏の場合ような、もっと卑小な問題でさえ、「嘘がある」と思われれば大舞台で追求される。

 これこそ「美しい日本」だ。

 お客様の感情こそ商売のすべてであるとわかっていた渡社長と欽ちゃんは、当然の行動をとった。どの道、この事業は頓挫する。そうであれば、きれいに引く以外ないと。700を超える支店を抱える不二家にはできっこない話だ。

 昨年のパロマ瞬間湯沸かし器や温風機、それから三菱自動車のリコール隠しなど、不祥事があばかれるたびに思う。日本企業は、それほど悪党揃いなのか? どうしようもない大きな力に押し流されているだけではないのか? あの、藤井社長の辞任会見「辞任して参りたい」という死人のような声を聞いて、その意を強くした。

 ただ、悲しいかな、成功を知っている経営者には、時代が変わったことがわからないのだ。私自身の体験で、そのことを痛感した。不二家のペコちゃん焼きを売っていた神楽坂には、私が住んでいたころの30年前の風景はもうない。銀座も変わり果てた。でも、眼を閉じれば浮かんでくるのは、25才のときの町並みだ。

 40年前のペコちゃんが藤井社長のまぶたの裏にはある。だが現実には、GATTで輸入菓子は自由化され、スイーツのお客の主流は、今やティラミス世代だ。

 時間がゆったりと流れていた時代、企業が今よりずっと尊大でいられた時代に育った安定期の経営者が、21世紀の激動に対処できるはずはない。不遜な断定ではあるが。

【注】このコンテンツは、以前に日経ベンチャー経営者クラブのサイトで「美しくて、あいまいな日本」というコラムの記事として公開されていたもので、Tech-On!に再掲いたしました。

著者紹介

神足裕司(こうたり・ゆうじ)
1957年広島生まれ。慶応義塾大学法学部政治学科卒。筒井康隆と大宅壮一と梶山季之と阿佐田哲也と遠藤周作と野坂昭如と開高健と石原裕次郎を慕い、途中から徳大寺有恒と魯山人もすることに。学生時代から執筆活動をはじめ、コピーライターやトップ屋や自動車評論家や料理評論家や流行語評論家や俳優までやってみた結果、わけのわからないことに。著書に『金魂巻』『恨ミシュラン』あり。