そうであれば、合羽橋で売られている和包丁なども、その落とし子といえるだろう。スシ・バーのカウンターの向こうで披露される板前さんの技もそうである。それらが、「きわめて日本的なもの」として外国人の目を驚かせ、その心を捉える。この強みを生かさぬ手はない。この文化を積極的にアピールし、文化によって磨かれた得意技を生かせば、海外にはない高付加価値商品をもっともっと生み出せそうな気がする。

表裏一体

 ただ、習性や文化といったものは一つの特徴ではあるけれど、それ自体が必ずしも強みとして発揮されるとは限らない。強みと弱みは常に表裏一体なのだから。

 司馬遼太郎氏は小説『坂の上の雲』の中で、日本が国家財力に似合わぬ高額な軍艦を世界中から調達し、さらには涙ぐましい外交努力を重ね、幸運まで引き寄せてやっと日露戦争で「やや優性」な状況を作り出すことに成功する様子を描いている。その最後に彼の史観として指摘していることは、その後の日本が、あらゆる方面で知恵と努力の限りを尽くした事実を忘れて兵士の技量と精神力こそが勝因だったと曲解し、太平洋戦争の敗戦までその誤りに気付かなかったということだ。象徴的なのは最新兵器に対する無関心さで、それは陸軍で顕著だった。海軍は幹部に留学経験者が多く、海外渡航の機会も多い。この国際感覚が、この弊害を軽微にしたという彼の記述は、陸軍的な思考こそが日本的なものなのだという指摘の裏返しである。

 この「最新兵器に対する関心の低さ」というのは、「道具を変えなくても、使い手の側が努力し技能を取得すればその不利は克服できる」という、日本の伝統的な道具文化を裏側からみた現象なのではあるまいか。そう思い当たってドキっとした。ただ、これは小説上の、しかもえらく昔の話であるからと思っていたのだが、最近、似たような話を聞いて、またまだドキっとしてしまったのである。

 ある装置メーカーの方に聞いた話である。そのメーカーは、従来にない新方式の装置を独自開発し世界中のメーカーに納入しているのだが、特にBRICsと呼ばれる地域のメーカーが極めて最新装置の導入に積極的だという。欧米メーカーも前向き。ところが、国内メーカーは総じてあまり積極的だといえない。資金力に問題があるのではなく、新しい概念の装置であるということが、二の足を踏ませる原因であるらしい。

 ほかでも同じような話を聞いた。参議院議員で技術経営の専門家でもある藤末健三さんが国内外の工場を視察して驚いたことは、この装置の差だったという。例えば上海などでは、最新の製造設備をずらりと並べた工場がいくらでもある。一方、国内では、最先端製品を作っている工場でも、10年以上も使っていそうな装置がずいぶん現役で働いている。現場の方に聞いてみると、「マシンの限界を勘と経験で補っている」とのこと。そこの社長も「古い機械だけど、驚くほどのノウハウが詰まっている。他会社がこの機械を使っても同じ製品は作ることはできない」と説明されていたという。「減価償却も終わった機械を使いこなすことによって利益を上げるのだ」とも。

 藤末氏はいう。「確かに、古い機械をきちんと使うこのとの大切さについては京セラを創業された稲盛和夫氏も指摘されていました。その通りだと思います。けれど、それ一本槍でいいのだろうかとも思うのです。実際に、中国で最先端設備がずらりと並んだ工場を見せられると、かなり不安になってしまう」。

 その原因について藤末氏は、社長の言葉にもあった税法上の「減価償却」の問題が大きいのではないかと分析し、具体例として95%までしか償却でないこと、償却に要する年数が平均10年と長いことを挙げておられた。このように「企業にとってデメリットが大きい」税制を採用しているのは、世界を見渡しても日本くらいのものだという。

 ただ、この問題に関しては企業税制見直しの一環として、是正される方向にある。それでこの問題は解決するのだろうか。

 原因が制度にあるのであれば、その制度が変われば問題も消える。しかし、ここまで議論してきたような、日本の「道具文化」などというものがそこに深く関与しているのだとすればどうだろう。よほど問題は根深いということになりはしないか。伝統や文化の力に人一倍の畏れを抱く私などは、すぐに心配になってしまう。それを人は杞憂と呼ぶのかもしれないが。