技術経営といっても特段の奇策があるわけではない。「Back to the basic」という。高校野球ではないが、基本に忠実であることが大前提である。地に足が着いた経営をして、企業の継続性を重視する---これこそが大事だと言える。

 直近の施策については昨日、今日、明日について考えるわけだが、企業の継続性を重視する上で大切なのは、当たり前ではあるが長期的観点に立って日ごろの経営を行うことだ。このことを痛感したのは、長年務めた大手電機メーカーから、大手出版社の雑誌などを作る製本会社の社長に転じた時であった。その当時の経験を少し述べてみたい。

 製本会社のビジネスモデルは単純である。大手印刷会社などから、大判の紙に印刷された「雑誌の素」がパレットに積まれて工場に持ち込まれる。それを何工程かかけてA4判くらいのサイズまで折り、それらを重ねて接着剤などでくっつけて本のかたちにする。それを出版社などに運ぶ。紙の加工業ではあるが、紙の仕入れ資金はいらないし,材料手配もほとんど必要ない。在庫の心配もない。委託加工費をもらって売り上げとする。粗利益率は30%を超すという手堅いビジネスである。

 しかし大きな問題がある。紙くずが出るので、あっという間に工場がごみの山になるのだ。このため、私が社長を引き受けた企業においては、いわゆる5S(整理・整頓・清掃・清潔・しつけ)に着眼した活動を以前から徹底して実践していた。

 「なんだ、いまさら5Sか」というなかれ。この製本会社は、長年にわたり5Sを継続し、効果をあげていた。実は、5S活動は継続が難しい。このため、たいていの企業では導入しても長続きしない。5Sは即効性のあるものではないから、効果が得られない企業がほとんどなのだ。

 5Sの徹底ぶりを紹介しよう。毎朝、始業の30分前に私を含む全員が出社して工場を徹底的に掃除する。全員が雑巾がけもいとわず行い、社長の私もトイレを掃除する。仕事の合間にわずかな時間ができると、社員たちはこまめにほうきで掃除をする。

 こうした掃除を徹底して行うことで、心を磨くことができ、大きな声で「おはようございます」としっかり挨拶できるようになる。出版社や印刷会社の方が来訪した際には、現場の作業者が「いらっしゃいませ、こんにちは」と大きな声で挨拶する。それに感動した方から、新たなご注文をもらったこともあった。

 ほかにも5Sの効果はある。目に見えてすごいのは、従業員の定着率が非常に高いことである。5S活動が実際に成功していることがいつの間にか業界で評判になり、同業他社が年に数百人単位で見学に来たほどだった。

 正直に言うと、この会社には、ビューティフルな特徴はあまりなかった。高度なレベルの教育を受けてきた社員もそう多くはいない。しかし歴代の経営者は、長期的に経営を安定させる手段として「継続的5S」を選び、それを実践してきた。

 一方、めざましい発展を遂げているように外からは見える会社であっても、内部は課題だらけで、人の出入りが激しいところが案外多い。あるいは、同じ会社内でも部門によって「モラルが低すぎるのでは」と思われるところがあったりする。これらの会社や部門の現場に行ってみると、多くはパソコンの裏側にホコリがたまり、事務所にいる社員は挨拶もろくにできない。掃除などは他人任せである。

 若い人は、職場のきれいさやモラルに敏感であるように思う。若い人でなくても、掃除もできず挨拶もしない会社に「自分の一生を託す」と誰が思うであろうか。腰を据えて仕事をするための職場作りから考えるのが、経営者の責務だと私は思う。このような点に着目して「お客様へのおもてなし」をスローガンに努力しているサービス業も多くなったと聞く。

 5S活動は、すぐに始められて費用もかからない。そのかわり、短期的に劇的な効果が期待できるような類のものでもない。しかし、経営者にとって重要なのは、こうした地に足が着いた活動を継続することによって足固めを行い、長期的観点に立った経営努力をしていくことである。

 「老舗力」と言う言葉を最近聞くようになった。老舗のすばらしい会社は、いずれも長年継続して努力している「何か」を持っているものである。

著者紹介

藤原 信浩(ふじわら のぶひろ)
技術士(総合技術監理部門、電気電子部門)
長年、電機メーカー(ソニー)に勤務し、技術研究所を皮切りに、AV機器、リチウムイオン電池などの企画、開発から事業化までを担当。その後、製本会社の社長に転身し、経営者として技術経営(MOT)を推進するとともに、製造業の原点である「継続的な5S」も身をもって実行した。現在、数社の技術顧問などを務め、電気自動車用リチウムイオン電池関連の仕事などを手がける。

本稿は、技術経営メールにも掲載しています。技術経営メールは、イノベーションのための技術経営戦略誌『日経ビズテック』プロジェクトの一環で配信されています。